鉄塔ハイキング14 あえて地図を持たず 北浜線

鉄塔ハイキング14

あえて地図を持たず

北浜線

2011年6月に歩いた記録を2020年8月に改編して再掲しています。

保土ヶ谷バイパスを通っていると道路を跨ぎ越す送電線が気になる。
5本ある。そのうち、3つは知ってる。
JR新-大線、これは追跡済み。
京浜線2種類。

後の2つはなんだろうな。

京浜変電所を出発して北浜線9まで

どうやら京浜変電所から出ている経路らしい。
ということで、バスを乗り継いで弥生台駅に来た。

これがその発端。
変電しました、出発します。という感じ。
空が鈍色(にびいろ)なのが惜しい。今回はずっとこういう空。

2つの系統を統合して1本の鉄塔で送る。
最初の1本は鉄塔が別になっている。
北浜線1−1。

浜岡線1−2。

でも北はおそらく港北、
岡はどこかな、都岡かな。
浜はもちろん京浜だろう。

ふたつは

ひとつに。

北浜線2はちょっと高いところにあった。
曲げてる。
アウトは碍子2本で吊り下げて大きくまわりこみ、
インは最短距離をつくるために碍子4本でがっちり固めている。

最終的にはここに1/4の荷重がかかってくる、接地点。支えてる。

実はここまでの地図しか持ってこなかった。
周到にプリントアウトしてくる時のほうが多いのだけど、
今回は迷いながら行ってみたいな、と。

では、次はあれだ。

横切るは、秦浜線。秦野から来ている。大元は新潟らしい。

北浜線3。
カーブしてますな。
北浜線のプレートは字がかすれているものが多かった。

またもや周りは耕作地帯&住宅。
畑に不法侵入者あり。

一部は耕作をやめていて、住宅地かと思ったら霊園になるようだった。
このパターンは歩いているとわりとある。
そして必ず「墓地反対」の垂れ幕がでている。

その耕作をやめた土地の向こうに北浜線4。
横切るのは市沢線。
写っている鉄塔の1本前の鉄塔に近づいて見てみると藤沢支社が保守担当だったので、あの辺りから来ているのだろう。

ぐるっと回り込んで振り返る位置で接近。
カラスが留まっていた。

歴史的何かの石碑かなと思ったら団地の名前が書いてあった。

付近に縄文の遺跡があるらしい。

団地の横に北浜線5。
電線カバーから生えてる雑草が気に入ってしまった。
青空ならもっと緑が映えるのにな。

団地を抜けてゆるい坂を上っていく。
北浜線6。
ホトトギスの鳴き声が響いている。
そして、時おりなにかが駆け抜ける音がする。

碍子がまっすぐに並ぶ位置で撮ってみた。

坂を上りきると跨線橋で、駆け抜けるといったら、新幹線だ。
もう、ほんと、はやあい。ピント合わなあい。

これから新幹線に乗る時は、頭上に25000Vが流れていると意識しよう。

渡るとすぐそこはダイエー。新幹線から見えるダイエーというコピーどうかな。
ふわふわな植物や重機を操るピクトさんを見ながら、次へ。


北浜線7。
まわりは畑だったり真新しい住宅だったり自動車整備工場だった。
足元はジャリ。未完成な地区。

線を引くために臨時に貼ってあるというより、自分たちのためにテープを貼って新たに(または勝手に)生み出した横断歩道という感じがする。

すてきなトタンのパッチワークの前から振り向くと、北浜線8と通り過ぎてきた北浜線鉄塔たちが見えた。

次は家に囲まれていたので近づけないかなと思っていたが、まわりこんでみると近づけた。
すこし晴れた。
高くなるにつれ、ゆるやかに細くなっていく鉄塔。まっすぐな鉄骨を継いであるのに曲線に見える。
北浜線9。

足元には車がたくさんいた。

北浜線10から20 小さな分水嶺

次はちょっと距離がある。
地図で見ても9と10の間は他に比べて空いている。
居眠りしてる人みたいなショベルカー。ここは宅地になる。

高いところにいる。階段があるように見えるが個人のお宅の階段で、まっすぐに上って越えることができない。
次の鉄塔がまったく見えないので、ここがいわば峠。無理矢理こじつけると境川と帷子川の分水嶺…って言っていいのかな。これからはそういう視点で山を越えよう。
左回りにぐるっとまいて上っていくと、送電線も向こう側にぐっと下がっていた。

こんなに高くなった!

実はこれ↑、背中を北浜線10に向けて撮ったんだ。
北浜線10。

鉄塔の向かいにはこんなものも。ここはおそらく昔もっともっと見晴らしがよい山頂で、その山の神が祀られていたのだろう。

今回、庚申塚はなかった。橋本線の時も見なかったが、神奈川県中央部(昔の相模)では流行らなかったのだろうか。大山があるから大山参りのほうが強かったか。

さっそく坂を下りていく。
北浜線11は京浜線に見守られていた。

赤い丸と黄色い三角のしるし。
下の2回線が浜岡線。
いちばん始めの、ふたつがひとつになるところをもう一度見ると、右から来た送電線が下の2回線になっているのがよくわかる。それがそのままここまで来ている(当たり前だけど)。

悪いやつが車で逃亡したらここに追い込むといいよ。
左には階段があって、道は続いている。


なんだかのほほんとした感じの住宅街の中に、北浜線12。
希望ヶ丘っていう名前も、のほほんとしてる。

次へ行く途中、明らかに次の鉄塔に続いているとは思えない、こういう道があったので、曲がってみた。こっちを向いてくれない猫がいた。


学校と学校の間に北浜線13。
階段を下りていく途中にある。
梅雨ですもんね。あじさいフィーチャー。

北浜線14は公園の中に。広場を突っ切ると道はなくなり、その向こうの斜面に立っていた。

斜面を上りきってみたところ。脚の長さの違い。

次は商店街の向こう。
階段を下りたところにあるこの店は、CLOSEDの札を出して仕込み中のようだったが、扉が開け放してあって中から大音量で音楽が聞こえてきた。

到達するには階段を上るのだ。

北浜線15。

それだけでもう坂を下りる。
下りたところには相鉄ローゼンの寮が取り壊しのためトタン板で囲まれていた。
その近くには新しいマンションが北浜線16を取り囲んでいた。
足元は豪華二段重ね。

ちらりと見える次の鉄塔は線路の向こう。
なに跨線橋ぐらいあるだろうと思っていたが、住宅街は線路に平行に展開していく。
渡れない。

しかたないので電子の地図で確認すると、この先踏切も跨線橋もない。
鉄塔でいうと2本戻って駅まで行かないと渡れないのだった。
希望ヶ丘駅前の踏切を渡り、ようやく向こう側へ。
さっき見た金網を線路の反対側から。

さらに道路を渡り、ちょっと戻らないと平行に走る道に入れない。その道沿いに次はある。
うろうろ。地図がないと楽しい。
うろうろして見つけたすてきなもの。
紫のドア、細い道。

いいなあ。

ようやくたどりついた北浜線17。

手前がちょっと、低い。

さて次は変電施設があるようだよ。


とんがった建物の奥に北浜線18。とんがってるのはなんと保育園。
送電線が変電施設に下りていくところに接近。


道を挟んですぐに、北浜線19。初の赤白。高さを示すプレートは見えず。
脚元が庭園ふう。ししおどしを置き、竹を植えたらよさそうだ。


そして今日のファイナル鉄塔。
北浜線20。
ライトセンターという視覚障害者のための施設の中にある。
手前の鳥はハトでもカラスでもなく、ツバメのようだ。
偶然写っていた。

プレートの字体が変わった。

おや、こんなところに免許試験場が。ちょうどいい、書き換えをしていこう。
…わざとらしい。
実は、どうせ書き換えに行くならおもしろい行き方はないかなと地図を見ているうち、近くにある鉄塔が保土ヶ谷バイパスを跨いでいる系統で、さらに京浜変電所からでている1番鉄塔であることがわかったため、始めからここをめざして歩いていたのだ。
ここには毎年何万人もくるだろうが、弥生台から鉄塔づたいに歩いてくる人はあまりいないんじゃないか。

午後の受付の1時間前に着いたので、食堂でサービスランチを食べた。
めでたくICチップ入り免許となった。
色はブルーだけどな。
   
この続きも地図なしで行くか。
タイトルに書いてしまった手前もあるし。

北浜線21から31 地図なしで放浪する

地図なし放浪第2弾。
二俣川駅から出発。
地図のついでにGPSロガーも持たずに出てきてしまった。
でもiPhoneのEveryTrailで代用。
これだと、今いるところと通ってきた道をその場で画面を見て確認できるので、さっき通ったあれはアレか、などと確認ができるので、意外に便利だった。
後で高さが表示されるのも便利。

便利ではあるがバッテリーが保つかどうかは気になる。
充電池も充電してあるかどうか記憶があやふやなまま持ってきた。
なんとかなるでしょ。といつも思っている。

二俣川駅からまた試験場まで坂を上っていく。
今回は激しくアップダウンを繰り返す。
もちろん地図がないのでこの時点では何も知らない。

地図があっても高さは気にしたことないが。

前回の最後から2本目、北浜線19は碍子の付き方に特徴があったことに今回初めて気付いた。
V字の先で電線を吊り下げるだけでなく、その前後にも2本ずつ碍子がついている。
二段構えになっていた。

前回のファイナル鉄塔北浜線20を右手に見ながら、坂を下る。
次は住宅地の中。
試験場の近くらしく、こんなお店があった。

高いところに鉄塔が見えているのだが、そこへ入っていく道が見つからずうろうろ。
曲がってみたけど駐車場。行き止まり。
ようやく、上がっていくところを発見。


これでもう2回目の上り。
北浜線21。本日のスタート鉄塔だ。住宅の中。ほんとにど真ん中。
家のほうが後から押し寄せたのだろう。
鉄塔は49年前からここにいるらしいから。
プレートの文字がかすれている。

次はさらに上るんですよ。

保土ヶ谷バイパスの横に立ってる北浜線22。

保土ヶ谷バイパスからもよく見えるんだ。

横からばかりではつまらないので、正面からも。

今川1号橋で保土ヶ谷バイパスを越える。橋のフェンス越しに見る。


同じような感じで北浜線23。鉄塔越しに道路の向こうの22を見てみる。

もうすっかりおなじみの畑が広がっている。自動車学校もあった。土地を広く使っている。
手前の黄色い箱には鉄線のくずが入っていた。

次の鉄塔方面にはここを通るしかなさそうだ。
住宅地を歩いていたはずが、急に土の道になった。
歩きやすくていい。
そして木々に囲まれて、北浜線24はいた。



わざと手前の葉にピントを合わせてみる。
ここでは植物のほうが優位にたっている感じがしたから。
49年前の鉄塔よりもっと前からここにいるんだぜ、って。

脚もと、うっそう。手つかずでいいねえ。

本来なら畑にいるものが野生化してる。いいねえ。

このあと、山を越える道がなかなかわからず、気付いたら道がなくなり畑にいたりすることを何度も繰り返し、祠をすぎたあたりで家が見えてきたので、越えたなと思った。この迷い子感がたまらなく楽しい。

家だけでなく、次の鉄塔も見えた。

ひょいと、ひとんちの横に出た。

ところでここはどこなんだろう。

帷子川を越えるとR16。また急にひと気の多いところに戻る。
駐車場の一角に北浜線25。


3回目の上り。
行き止まりか?と思ったら右の小さな階段から北浜線26の脚もとへ行けた。

さらに上る。
次はなんだかすっきりした印象。


プレートも新しい。字体が新しい。実は平成20年生まれ。
北浜線はすこしずつ立て替えられているのだろう。

すっきりしているのは、脚元があまり広がっていないからかな。
高さのわりにコンパクトだ。

さらに上っていく。
このあたりは車1台分の幅しかない道が入り組んでいる。
坂の途中が階段になっていてまっすぐ車で上って来れないところがある。
要塞みたいだ。
最後も階段になっていた。

北浜線28。

上りきったところはこうなっていた。似たようなところを前に見たことがあるので水道局の文字を見る前に水道だなとわかった。

尾根だ。
右か左か。どっちに下りる道があるのか。
右だ、とまず行ってみると、次が見えるのだが道はずっと高いままのようだ。

戻るとき28を横から見た。
上の1回線は碍子がひとつ。下の1回線は碍子がふたつ。
碍子から金属部分がとびだしていて、ブラシのようにも見える。
横からのほうがおもしろい鉄塔もある。

左が正解で、マンション横の細い道を下りていくと、水道橋の下に出た。
しばし観察。

若葉台団地の入り口にあるのにそっくりだ。

水も蛇口をひねれば出ると思ってしまうが、雨水がいったん貯められて浄化されて、さっきみたいな橋や地下の水道管を通ってくる。大筋は知っているが、水の来る道をみたことはほとんどない。
これも知りたいですな。でもほとんどが地下だからたいへんだろうな

鉄塔の位置から見てだいぶ下ったのがわかる。もっと下まで行く。川が流れているところまで。
橋を渡る。

そして、4回目の上り。
北浜線29。プレートの文字が新しいので見たらやはり平成20年生まれだった。
なぜか真ん中に石が敷かれていた。前回もあったが、それより石の範囲が狭い。


さらに上って北浜線30。
これは古めかしい。ベージュがかった白の鉄骨。
いぶし銀、ではなくて、いぶし白。そんな言葉はない。

次はさらに上ってすこし下ったところにあるのでギリギリまで見えなかった。

本日のベスト賞でました。北浜線31。
変電施設のものなので、特色はあって当然なのだが。
でも、広げすぎだと思う。蛾って感じ。

表は丈夫な柵で厳重に封じられているが、裏は駐車場ですぐ下で見ることができた。

変電施設に吸い込まれていく部分。

北浜線32から42 坂を上ったり下りたり

坂は下り。
北浜線32はセメント工場の中。セメントでできているものってたくさんある。
そのいろいろな製品が山のように積まれていた。
どこかでみたことあるようなものがたくさんあった。

敷地をぐるっとまわる細い道を行くといきなりハシゴになっていて、ひとんちの裏庭に通じていたので、もう一回変電所付近まで戻り別の道を下る。

いっこだけ。先に実ったのか。他は全部落ちたのか。

いちばん下から北浜線32を見上げる。
コンクリート製品が積まれているのが見えた。
プレートは新しいタイプだ。

…さあて、上ろうか。5回目。

そして、北浜線33。

このあたりは新しく開発された住宅街。庭木の伸び方から勝手に推測すると、できて3年くらいじゃないかな。木がしっかり根付いてから、季節を1巡りしたくらい。
住宅地の終わり。林の中には児童福祉施設がある。何らかの事情で親と暮らせないこどもたちのための施設。寮から、声変わり期間くらいの若い声が聞こえてきた。もっと小さい子に何か指図をしているようだった。やさしい言葉遣いだった。

次に行くには右にカーブした道をおりてぐるっと回らなければ行けないのかな。そりゃきついな、と思ってここで初めて電子の地図をみた。すると、細い道がまっすぐ突き抜けていることがわかった。
行ってみたらほんとうに細く、暗く、心細さを感じる道だった。

今回は階段とか細い道とか車では行けないところが多い。こういう道もどこかにつながってる。高速道路にさえも。ほんとうにそうだ。

冬期凍結注意などと書いた急坂を上って(6回目)いくと、柵のむこうに北浜線34。脚元には寄れず。
下ってくる散歩中の犬もこころなしか踏ん張って歩いてる気がする。と思ったら出すものを出していた。そっちの踏ん張りだったようだ。

右に階段が見エマスネ。いうまでもなく上リマシタヨ。
北浜線35。横から。

またもや細い道を抜ける。
分かれ道に石仏がおられた。赤いものをかけているが、お地蔵さんではなかった。阿弥陀か釈迦だと思う。ここは街道だったんだな。

6回目の上りでいちばん高いところに北浜線36。
バチバチという音がする。送電線が低いところにいるので耳に迫る。バチバチ。
畑の向こうに今まで通ってきた鉄塔がみえた。

空はずっとこんなだったが、雨は一滴も降らなかった。
坂を下りていく。
坂の途中に北浜線37。
ちらりと黄色いものが見えたので寄ってみると、黄色い目玉がいた。

坂を下りきると造園業社の作業場があり、トラックの荷台やクレーンが送電線に触れないように、目印がたくさんつけてあった。お祭りみたいになってる。

次の鉄塔へ行くにはここを上るようだ。7回目の上り。
またしても車では来れない道をゆく。

そしたらいました。
久しぶりだ。1737年(右)と1764年(左)の庚申塚。
左の青面金剛は左手に鬼みたいな奴の頭をむんずとつかんでいる。
三猿もそろっている。


そしてそのすぐ左手に北浜線38。脚元にはちいさな畳屋さんと農機具小屋。
危ないから入るな看板の止め方はこんなふう。


さらに上ると丘陵地で、一面の畑になっていた。そのど真ん中に北浜線39。隣には農業用揚水設備というものがあった。たしかにここは高度があって川の気配はしないので、どこかから汲み上げているのだな。

鉄塔の向かいの電柱が、スズメより一回り大きくてくちばしの黄色い鳥の集合場所。このあと鳴き散らしながら団体で畑に下りていき、なにかをついばんでいた。播いたばかりの野菜の種じゃないだろうな!

枝豆とトウモロコシと次の鉄塔。

地図に描かれた鉄塔にはかわいらしい。

家と竹林に囲まれて近づけなかった北浜線40。
上1、下2、の碍子。
スマートな感じなので、平成生まれかもしれない。


バス通りまで下りてきたらマンションの建設工事中。地図にある道が通れなくなっていた。
まっすぐ突っ切るつもりがマンション建設予定地を迂回して、上っていく。8回目。
中学校の敷地内に北浜線41。
台座付き。
台座の横にはプール。年季の入ったコースロープ。

長い階段を下りていく。
途中に祠。なんとか法師とあったので、菩薩とか如来じゃなくて実在のお坊さんの像のようだ。
仏像と同じようにされるほど、立派なお坊さんだったのだろう。

下りてきたとこすまないけど、次はあの上なんだよね。
もうすっかりおなじみ、階段の上に鉄塔の図。9回目の上り。

階段の上は公園になっていて、こどもの遊び場というより市民の憩いの場という雰囲気だった。風通しも良くてくつろげそうだった。こども向けとは思えない感じのぶたがいた。
いくらくつろいでも、タケノコは掘ってはいけないらしい。

掘らずにいると、竹になる。


木々に囲まれた北浜線42。

次は近くまでは行けるのだが、草木に阻まれ脚元へは行けない。

反対側の斜面はお寺。次回、斜面の下からの再アタックを心に決め、今日はここまでとした。

最後の坂を下りて駅へ行く途中、細い道があったので駅とは反対方向だが行ってみた。
コーヒーのいい香りがしてきた。

道はそのままお寺の境内へ通じていた。山門から出た。
さっきのコーヒーはどこから漂っているのかなと思って表通りへ出てみると、あった。
50〜60台のご夫婦がなさっている、カウンターだけの珈琲店。
珈琲の他にはケーキとトーストだけ。
ケーキは手作りで、わたしが入ったときには今日の分は売り切れていた。
自分たちのスタイルをしっかり守っているお店だった。

次のハイキングの出発点はここだな。
   

北浜線43から48 しんみりスタートと低いガード下

暑かった。
暑さの中どれくらい歩けるのか知りたかったので、
行ってみた。
意外と歩ける。
とにかく水を絶やさないこと。
これを守ればわりと行ける。

計画通り、鴨居の喫茶店れんがからスタート、
といいたいところだが、開店5分前に着いてしまい、
先に北浜線43を前回とは反対側からアタックしてみた。
思った通りお寺の敷地内、墓地の中にあった。
そこで思いがけないものを見てしまい、

門が立派な大きなお寺。真言宗つまりお大師様のところ。

急な斜面を上って、鉄塔のいちばん近くまで。
北浜線43。

さて下りるかと振り返ると、新幹線をあしらった墓標があった。
運転士だった人かもと思って見てみると、そこに眠っているのは享年2才と0才の兄妹だった。
お花、ミニカー、アンパンマンの石像、そしてある日時を示したまま止った時計がそなえてあった。
先祖代々の墓ではなくその兄妹2人のための墓標なので、埋葬したのは若いご両親だろう。
どんなに辛かったろう….。
縁もゆかりもないけど、思わず手を合わせてしまった。
こんなに短い命もあるのだ…。

次の鉄塔を撮りながらも、彼らのことが頭から離れない。

珈琲を飲みながら、こみあげてしまいそうでやばかった。
朝いちばんで来て、いきなりしんみりしてる変な客。
くだらないことでイライラしたり文句言ったりしてないで、いい人生を送らないとね。あの子たちに申し訳ないよ。ほんと。

そういえば、お寺の入り口に、いた。
寛文年間なので、1600年代の庚申塚。左から2番目。
いちばん左の石塔には弘法大師の名前が書いてある。

次もなんだか高いところにいる。
廻りこんでみたら隣のお寺の墓地の中だった。
やはりこのタイプは横から見ると、いい。北浜線44。

さて次は線路の向こう。
跨線橋はなく、どうやら近くにくぐって渡れるところがあるらしい。
あらかじめ調べておいた。線路が越せなくてうろうろするのもたいへんだから。
横浜線からも確認した。
行ってみたら高さ1.6M。
自転車の高校生が深々とお辞儀をしながらさーっと駆け抜けてきた。

身長1.57Mのわたしが通ると頭のすぐ上がこう。

自転車の人がこのくらい。
この方はわたしが物珍しそうに何枚も写真を撮っている間、静かに待っていて下さった。ベルも鳴らさずに。

向こうは一面畑だった。

その中に北浜線45。
なぜか脚元に鉄塔を取り囲むように4つ石があった。
おおきな石があるとそれだけで遺跡にみえるから不思議。
鉄塔は昭和37年のものなので立て替えられる前の支柱の跡でもなさそう。

トタンのパッチワーク。

次も畑の中。
北浜線46。ここも脚元に謎の石があった。ストーンヘンジタイプと呼ぼう。
上の2回線に比べ下の2回線が大きく張り出しているところがいい。
ちょうど電線が輪になっているところにカラスが止って、ずっと鳴いていた。

次は、川の向こう。

遊歩道に出てみると、渡れるのはあの青い橋と思われる。でも、この遊歩道があの青い橋につながっているように見えない。

やはり。つながってない。もっと奥の茶色い橋まで行く。

用水路にコイがぎゅうぎゅうしてた。

橋を渡って鉄塔まで戻る途中、水神と書いた石碑。近くに水神社があった。

ここ鶴見川も昔は洪水がよく起きたのだろう。
災害ではあったが同時に肥沃な土が運ばれてきたから、この辺りは一面畑なんだろうな。
氾濫原というのだっけ。

遊歩道から下りてすぐに北浜線47。
次は変電施設とみた。

道路を渡って、変電所。
下の浜岡線から変電施設へいっているようだ。
後ろからも見てみた。こっそりのぞいているような感覚。

次は工場の駐車場のなか。
晴れてきて、暑くなってきた。

トラックに囲まれていて近づけなかったので番号がわからなかった。
変電所のは番号はつながっているのかどうかもわからなかった。
なので、先へ行こう。

北浜線49から57 工場の外階段がおもしろい

次は工場の向こうに。
何の工場かは看板を見よ。さっきからいいにおいがしてる。
北浜線49だ。ということは、変電所内のは47だったと思われる。

脚元の石が初めてみる形。

いろいろな工場が続き、その中に北浜線50。
これも脚元の石がおもしろい。めりこんでいる。

工場はさらに続き、北浜線も続く。51。
次の鉄塔は低いようだ、電線がぐっと下がっている。

19と同じように、二段構えの碍子になってる。
角度を変えて見ると感じがかわる。


工場だけでなく大きな倉庫も出現。
北浜線52の脚元に近づくのに、工場団地と住宅展示場を大きく迂回した。

今までの並びの中ではたしかにかなり低い。他がすっきりならこれはどっしり。

今回はこういう外階段が気になった。

こういうのも好物です。

なんだか鉄塔以外の写真が多い。
暑い暑いといいながら、きょろきょろしてたんだな。

次の北浜線(おそらく)52は、港北インターの中。
脇から近づけるかなと思ったが、ジャンクションの下には高速道路の作業車、「事故」や「点検」という文字を表示する黄色い車がたくさん停まっていて入れなかった。バイパスなどでよく見るあの車はここに待機してたのか。

インター出口には、みるからに中途半端な五角形の土地があった。

これこれ。気になる。外階段。

次は、小さな川沿いにあった。
これも二段碍子(勝手に命名)。
北浜線54。すっきりとどっしりの間くらい。
ゆったりしてる。
これは高さを楽しもう。

向かいに、またまた、外階段。

これはヤナセの整備工場。

次の北浜線55は亀屋万年堂の工場の前。
ここでもナボナを焼くいい香りがした。
脚元には小さな小さな植物。生け花のように。

次の北浜線56も赤白&二段碍子。3連続だ。
和菓子のあけぼのの配送センター横に立っていた。

次はどうやら赤白ではないようだ。

坂のない道を歩いて北浜線57。
この北浜線57は、3つ続いた赤白と同じ二段碍子で、高さも62Mで同じなのに、なぜか赤白ではないのだ。3本以上続けてはいけないのかしら。

噂の3連続赤白。北浜線54,55,56。
うっかり同じ紙に何度もプリントアウトしてしまったかのようだ。

北浜線58から67 北浜線と浜岡線の分岐点へ

バス通りと並行して送電線が渡っている。
北浜線58は畑の中。

久しぶりに上りだ。

あじさいの向こうから黒猫ちゃんが見てる。

上りきったところが丘陵公園となっていて、不思議なオブジェと一緒に北浜線59。
晴れてきた。頭痛がしそうなほど暑い。でも気分は上々。

次も公園の中にある。
丘を上ってきた風が小道を吹き抜けていき、竹がさわさわと鳴っている。風の中にいると汗がひいていく。近づいてみると柵の中に桑の実がなっていた。北浜線60。

このまま丘を下っていかれればいいのだが、道がなくなったところからみてもそれは無理だろうと思っていたら、やっぱり無理だった。

59まで戻って丘を下る。
バッティングセンターの横に北浜線61。夏だ。

二段碍子になっているものは、V字の底になにやら車のバッテリーみたいなものがついている。

次は町工場の立ち並ぶ中に。畑といい町工場といい、横浜は観光地というより生産的な土地だ。
北浜線62。鉄柱タイプ。
広角レンズじゃないと全部入りきらなかった。

向かいは工場で使う機械や配管をかたどったオブジェのある公園になっていた。この辺にも生産する人の矜持が感じられる。
中の日陰で女子ソフトボール部の子が素振りをしていた。

トゲトゲがいっぱい。

北浜線63も工場のとなり。窓が開放されていて、ガコーンガコーンと機械音が聞こえる。

V字碍子の影。脚元の石の形。


送電線と一緒に橋を渡る。

北浜線64は家に囲まれていた。長居はできない。

北浜線65は住宅街の駐車場の中。

脚元の石がおもしろい。
多くの鉄塔は支点が角の4点でそこに4つの石があることが多いが、これは途中で切ったみたいに接地点がたくさんあって、そこにいちいち石がある。椅子の脚カバーみたいになってる。

さてさて、ついに来ました。
北浜線と浜岡線が分岐する鉄塔。
ここだったか。
右が北浜線66。ここで上の2回線だけが左の鉄塔(67)につながる。下の2回線はさらに鉄塔を1本経て道路を渡り、右方向へ行く。
まずは、北浜線についていこう。

次はこれ。浜岡線とは別の系統が合流してきた。

山を上って脚元まで行ってみよう。

次ページへ。

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