鉄塔ハイキング18 春のうららの寺尾線

鉄塔ハイキング18 

春のうららの寺尾線

実際に歩いたのは2012年4月。
2020年8月にレイアウトと文章を一部改編。


横浜から東京へ行くには2本の川を渡る。鶴見川と多摩川。
鉄橋を渡るとき電車から見てる。鉄塔を。
川沿いに鉄塔あったよな。まずは鶴見川へ行ってみよう。


その1 鶴見駅から鶴見市場駅へ


鶴見駅から商店街を抜けて川をめざす。

いたいた。
どこにいても目立つねえ。

公園の奥、川のすぐ近くにいた。
春ですよ。花がきれいです。

すぐ隣には北の台連絡線20-1がいる。
赤白は寺尾線21。昭和47年生まれ。

この連絡線はちょっと変わっていて、下から見上げるとやたら四角っぽい。
画面の上方向に飛び出している四角は何のためにあるのだろう。碍子がついていない。
バランスをとっているのか。

白昼の対決?見つめあうふたり?

寺尾線21からは2方向に伸びている。
川向こう岸と鉄橋の向こう。
向こう岸はどうやら1本で終わっているようだ。工場への引込線かな。

では、鉄橋の向こうへ。
その前に、この文字も影も久しぶりに見たので載せておく。1月からなんだか心がざわざわしてて、じっくりものを見ようという気になかなかなれなかった。春が来て、ざわざわは去ったかな。今回揺れたのは心だけだったみたいだ。なにが揺らしていたのかは不明のまま。

電車から見たのはどんな風景だったのかを確認したくて線路の近くまで行って見てみた。

では鉄路をもぐって向こうへ。
途中見上げてみると、枕木のようなものが散乱していた。

ごつごつした寺尾線22。寺尾線の始まりは旭変電所である。
なぜひとりこんなにごつごつとがんばっているのだろう。周りは家で、工場や変電施設などない。

分岐点みっけ。

次の寺尾線23がこっちみてる。
ここだよーと言ってるみたい。

レース編みのベストを思い出させる鉄塔だ。薄紫で、おばあさんが白いブラウスに合わせて着てるベストのイメージ。チョッキといったほうが似合いそうなもの。

桜の開花はこのくらい。もう、はじけそうだ。

鶴見ポンプ場の前を抜けて川へもういちどでてみる。

休息するテトラポッドたち。これらはみな使命を果たしたあとのもののようで、苔が生えていたり角がとれたりしていた。

寺尾線24はマンションの中庭にいた。

赤い電車は言わずと知れた京急。

よからぬことを考えていそうなマンホール。

京急をくぐると第一京浜にでた。
寺尾線25はパチンコ屋の奥で入れない。

鶴見川に架かる橋の上から望遠でのぞいてみた。
川向こうも横浜市だ。

河口が近い。海の雰囲気がある。ゆりかもめがいっぱいいる。
鳥は正面顔がかわいい。

正面顔をねらって撮ったのではなく、後ろを電車が通ったから撮ってみたら偶然こっちを向いていた。

寺尾線26の全身像。いつも次の鉄塔をみつけるとすぐそばに行ってしまい、近くから撮ることが多くなってしまう。
全身が入るように今日は気をつけてみたんだ。特にこれは、碍子のついていない部分が3つそろって張り出していてかわいらしさを感じる。

さて近づいてみよう。む、階段の横に祠。
いました、庚申塚。戸塚と鶴見はよく保存されている。

ここも雰囲気はほぼ海。

わずかに曲げている。

川を離れて次を見ると、終点だった。

寺尾線27が変電所へ入っていく。
3本の直線の交点をそれぞれA、Bとする。といいたくなるような電線の流れ。

お決まりの留置線でオシマイ。

変電所の名前を見ようと、左周りに進むと、すてきな建物があった。素材の違う長方形3種類でできている建物。色もいい。

ここは栄町変電所だった。
その正門が面している通りの名前は、ゴム通りであった。

そして、住宅街を抜け、小さくて見逃してしまいそうな駅名表示に従って、鶴見市場駅から帰った。

その2へ続く


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