鉄塔ハイキング2 境木変電所から西谷浄水場

鉄塔ハイキング2

境木変電所から西谷浄水場

2010年11月に歩いた記録を。2020年8月、一部改編して再掲しました。

西谷浄水場で行われる水道局の催しに行ってみようと思った。
気候もいいし、歩いてみるかと思った。
歩くなら鉄塔を追いかけてみようと決めた。
目的地への道ではなくて目的地につながっている鉄塔に目星をつけ、さらにいうとプリントアウトしてそれを持って出発した。

地図を持っててよかった。なかったら、到着が夜になってた。道が複雑すぎた。直線で結ぶ電線と山や谷をいちいち越えていかなければならないヒトとは違うのだ。

その1 境木変電所から保土ヶ谷バイパス

1から6まではこの地図に。

出発。
いつものように公園から。
この写真を撮ったあと、GPSロガーをスタートさせた(1)。カッコの数字は、地図上の数字を示しています。


境木変電所をスタート(2)。
4本あるうちの、右側2本が並ぶ方向が目的地。


まず1本目(3)。変電所からは、保土ヶ谷線と妙蓮寺線に分かれる。これは保土ヶ谷線のほう。ぼつぼつもすてきだ。もとが大きいだけに、ここまで寄ると顕微鏡写真のようだ。


2本目が見えてきた(4)。ちょうど、ヘリコプターが通過した。


この辺りは旧東海道。江戸を立った旅人が初めて出会う急な坂、権太坂。国道の権太坂に比べてかなり急だ。当時はここから神奈川の海がきれいに見えたそうだ。富士山も見えたのだろう。


3本目は近くまで寄れなかった。高校の敷地に入ればいいのだが、警察とか通報とかただならぬ文句が書いてあり、入る事はできなかった。フェンスと網と電線の向こうに見えるのがもどかしい(5)。

さて、次は。地図ではとても近く見えるが、線路を渡るすべがなく、たいへん大回りをした。もしかして、と思って線路に近づく小道に入っても、見事に行き止まりだった。


跨線橋にやっとたどりついて、3本目と4本目をみる(6)。
橋が見えるが、これは自動車専用道路だ。
このあとわかるが、このような大回り、急坂が何度もたちはだかるのだった。

7から15までの地図。

跨線橋を渡ると川にでた。川沿いの道を歩く。次の鉄塔はまだ先だ。植物の茂り方がワイルドだ(7)。


車などとても入って来れない狭い道を行くと、橋があった(8)。ひなびた温泉街にでもありそうな、手すりのない橋。看板によるとこれは私道で、渡るからには自己責任で、とあった。


川のそばにいるのだから現在地の標高は低く、そこから次の鉄塔を仰ぎ見るのだから鉄塔の標高は高いということだ。急坂を上って行く。長く急なので、途中に腰掛けて休めるようにした場所があった。名前はたしか、ほっとスペース、だったと思う(9)。


4本目も近づけなかった(10)。右から左からアタックしたが、いちばん近いところで、人家が遮るように建っていた。


次は、実は4本目より先にみつけていた5本目(11)。近づいてよく見ると、ちいさな風車のようなものがたくさんついている。それにしても眺めがいい。あれだけきつい坂を上ってきたから、当然といえば当然。鉄塔を画面に入れようとしたら、太陽も入ってしまった。




振り向けば、6本目以降が並んでいる。このまま坂を下りて行けばすぐ着きそうだが、今度は自動車専用道路が横たわっているので、迂回。

この橋はいつも使うバイパス出口のすぐ上だった。きょうはバイパス空いてるな。

橋と、橋の近くのマンション入り口にあった、お稲荷さん(12)。

迂回して渡るだけでなく、坂をいったん下る。急傾斜地崩壊危険区域という早口言葉のような地区である。保土ヶ谷区にはこれがたくさんある。昔は渓谷のようなところだったんだろう。平地がなくて米が作れずそのかわり蕎麦を育てたため、蕎麦が名物だったと聞いたことがある。

そして、鉄塔は高いところにある。つまり、また上りだ。6本目(13)。マンションの裏手にあった。

碍子にちかづいてみた(望遠レンズで)。


7本目はかわいい感じだった。菊の鉢と並んでいるのだ。色彩がこんなにあるのも久しぶりな気がする(14)。

8本目は自動車専用道路のすぐ脇にいた。タワーを共演させてみた。脚元は防護壁で覆われていて、道路の一部のようになっていた(15)。

また橋を渡る。
その2に続く。

その2 保土ヶ谷バイパスを徒歩で越えて西谷浄水場へ

まずは地図からどうぞ。
緑の棒状のものは、鉄塔を表しています。長さや太さが違うのは、お絵描きソフトで描くときに適当に描いたからであって、実物の規模の違いなどを表しているのではありません。

16から21まではこの地図に。

すぐそこの鉄塔を横目に見ながら迂回して自動車専用道路を渡る橋があるはずなのだが、見当たらない。紙の地図のどこにいるかわからなくなったら、電子の地図がある。現在地を確認すると、かなりずれていた(16)。グーグルマップには、徹底的といえるほど、道が再現されている。紙の上で細い道は、実際容赦なく細い。いくらなんでもこんな小さな路地は書いてないだろう、と勝手に決めつけていた。思いこみで道をはずれていたというわけだ。思いこみって怖い。

道路の防護壁沿いに進むと、小さな神社があった(17)。
ここに橋があるはずだ。

そして橋の上から。いちばん右がめざす鉄塔。


またまた階段だ。てっぺんに9本目がいた。鉄塔の前が広く空いていて、参道みたいに見えた。晴れて明るくなったので、また碍子に寄ってみた(18)。


右手に今見た9本目と保土ヶ谷球場が見えてきた。スコアボードが点灯している。試合中のようなので、のぞいてみた。同点だ。どっちもがんばれ。
昔話で恐縮だが、昭和の終わり頃は外野席は芝生で、スコアボードは手動だったんだ。ところでランドマークというだけあって、あのビルはかなり目立つ(19)。


10本目は新興住宅地の中にあった。建て売り住宅の一群。(20)。畑の向こうに次の鉄塔が見えた。このアップはザリガニの腹側を思い起こさせる。


次までは平坦。11本目(21)。鉄条網とギザギザがこちらを威嚇している。

22から36まではこの地図に。
無計画に描き始めたのが災いして、最後の地図には15個もの印を入れることになってしまった。

このあたりは生産農地という立て札のたった畑が多い。伸びゆくなにかの芽(小松菜かな?)と11本目の鉄塔。


バスも通るような道からまたもや細い脇道へ入っていくと12本目があった(22)。まわりは舗装されていない。なぜかというと畑だから。



畑を回り込むように坂を下って行くと、目の前に3本鉄塔が見えた。ここはあらかじめ調べておいた、分岐点である。目的地は左。真ん中に見える分岐点の鉄塔はいままでとちょっと違う形をしている(23)。


あの分岐まで行くには、いちど下ってまた上る。起伏にももう慣れた。いちばん低いところまで来ると、小さな小さなお稲荷さんの祠があった。そのとなりに、もっと小さな石柱があった。鳥居とお供えもある。何が彫ってあったのか、風化したのかもう見えない(24)。


また厳しい階段ですよ。馬頭観音の祠があったから、ここらは昔から往来のあったところなのだろう(25)。


さて分岐でがんばる13本目(26)。下から見上げる。分岐を示す札が付いていた。ここから花見台線を伝って行くことになる。



花見台線の最初、14本目(27)。畑の中にあるので近づけなかった。畑はこれから種を播くようだ。


12本目と13本目と14本目の並んでいるところ。


次へ向かうとき道を間違え、崖の上を歩いていた。右手がストンと落ちている。地図によると寺があるようなのでのぞきこんでみると、果たしてあった(28)。庚申塚がありそうだ。今度行ってみよう。

神社のものと思われる薄暗い林を抜けると鉄塔があった。15本目。まわりはやっぱり畑で、鉄塔の柵の中にも植物が侵入していた(29)。

畑を抜けるといきなり新興住宅地だった。その中にあった16本目(30)。

すぐ次が見えた。17本目(31)。


さてこれからがまた大回り。今度は川を渡る。川に崖が面していて崖の上が公園になっている。その公園の出口が暗渠になっている。ここで川を渡る。またもや道を間違え、大回りのうえに、さらに迂回してしまった(32)。今は護岸工事でおとなしいが、その昔この川は谷を削る勢いで流れていたのだろう。
次に向かうまでの間にぽつんと空き地があったのだが、公園にでもするつもりだったのか、動物がいた。これ以外には遊具も何もなかった。無常感と寂寥感のただよう空間(33)。自転車が一台乗り捨てられていた。捨てられるにふさわしいとさえ言えそうな侘しさなのだ。


少し行き過ぎたりもしたが、曲がるところを見つけてまたもやきつい坂を上る。マンションのすぐ横にあった。ここも誰かが畑にしていた(34)。



浄水場はもう近い。催しの喧噪が聞こえてくる。尾根伝いに(自分の計画では)最後の鉄塔へ向かう。この辺りは水道山町という。
Pb233083
住宅地の中にあった(35)。花見台線6。あと5本たどれば、変電所か分岐の鉄塔に着くだろう。近いうち制覇しよう。

では浄水場へ!


これが西谷浄水場(34)。この門のちょうど反対側に(自分としての)最後の鉄塔が見えた。


本日の催しはというと。はまりんで字が一部隠れているが、「水道局お客様感謝デー」であった。電気を追いかけて、最後は水で締めた。バザーのクッキーとコーヒーでカロリー補給。
インフラを作る人、守る人へ感謝をこめたってわけでもないが、ちょうど勤労感謝の日だった。こっちが感謝されるのではなくて、使用者である我々のほうが感謝しないといけないよ。それも1年に1回だけの感謝じゃ足りないくらいだ。

ここまで来るのに、16km、5時間半、歩いた。とにかくおもしろかった!

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