鉄塔ハイキング11 バス停まで徒歩40分 橋本変電所〜津久井発電所〜本沢ダム

鉄塔ハイキング11

バス停まで徒歩40分

橋本変電所〜津久井発電所〜本沢ダム

2011年に歩いた記録を、2020年一部改変して再掲。

その1 都留線編

地図上ではそれほど遠くはなかったんだが、高低差には気付いてなかった。

ゴール地点にそういえば交通機関がないんだなと途中で気付いた。
今までだと、ファイナル鉄塔のそばにはバス停か駅があった。
初めて利用する駅が楽しみだった。
初めて利用するバス停まで徒歩40分、はそれこそ初めてだ。

山頂のダムには、意外と歩いてくる人も多かった。
ほとんどが地元の方だったけれど。

橋本駅。
午前の早い時間。

橋本変電所からまずは都留線についていく。
変電所内の都留線266。

晴れているが湿度が低くて、暑くはならないだろう。
坂のない住宅地に都留線265。
平成9年と書いてある。最近立て替えられたんだな、と思ったが10年以上前は最近ではないな。
橋本線が昭和の鉄塔ばかりだったのですごく新しい物のような気がした。

碍子が長く、2本組みであるところをみるとこの送電線は重いのかもしれない。
すぐ次が。都留線264。
その長い碍子の影。

この先行き止まりと書いた道を入っていくと、公園の中に都留線263。
公園は徒歩なら通り抜けられる。
鉄塔の足元はほぼ正方形の土地となっている。
ここの表情は鉄塔によってさまざまで、今回はこれをコレクションしてみた。
都留線263は、石ころがころがっていた。

住宅の合間には工場がある。煙も音もない。休みだからかな?
二輪の教習所の中の都留線262。足元はバイク置き場。

朝から生徒さんがたくさん来ていた。

前回の最後、送電が休止中の八ツ沢線をみたが、まさにここで!送電線が終わっている鉄塔があった。
都留線262と道を挟んで向かい。
碍子が止めてある。ピリオド。

住宅が途切れると工場がでてくる。
工場というと、配管がうねうねしているより、こういうのっぺりした建物のほうにひかれる。

薄暗い現場。灯りとりの窓から射す光がいい。中で見てみたい。

都留線261は運送会社の敷地内で、足元は見えない。近寄れない。

続く都留線260は同じ敷地内だが端っこなので見えた。
足元はちょっと石があるくらい。きれい。

職業能力開発大学校の横を歩く。木が刈られていて、切り株は丸太にされ、きれいにたばねてあった。これも職業能力開発の成果なのだろうか。木こり科。
都留線259の足元は個人のお宅で、庭いじりをなさっていたのでカメラを向けられなかった。
遠くから。左手がその大学校。

大学校の正門のツツジが100株くらい一斉に咲いていて、目が痛くなるほど。

道路を渡ってすぐ、都留線258。足元はじゃり。

さっきからイヤリング型(勝手に命名)が続いている。

都留線257は公園の中。
花は終わり、新緑がむくむくという音が聞こえそうな感じで出てきた。
公園に人はいなかった。

突き当たりを左折して時計回りに迂回。家の間から見えた景色が完全に「山と渓谷」になっていて駅からそれほど歩いてないのに変わりように驚いた。しかもそこはこれから行く方向だ。
都留線256。昭和62年。平成、昭和ときた。
木々に囲まれているが、足元は舗装され石もなかった。

半時計回りに迂回して、車がやや多い県道沿いを歩く。車からよく見えるように大きく書いたセブンイレブンまで◯メートルという看板がでている。ここのは234メートルだった。
新しくバイパスとして作られたらしく、真新しいコンクリートの法面の横を過ぎる。

今はなき大正時代の鉄塔たち


コンビニの手前に古めかしい鉄塔があらわれた。

いつごろのもの?なんて何の気なしにみてびっくり。

大正だった。平成、昭和、大正と遡った。鉄塔界ではふつうのことなんだろうか。ほんとうにびっくりした。80年以上前のものだ。よく残ってるな。
その全容をどうぞ。

都留線255。
足元には、タケノコというより竹が。

実は県道に沿って大正の鉄塔がこれ以降も7本続いた。
古ければいいという気はないが、これらは見ていてとてもいいものだった。

都留線254。大正。
大正のものを見てしまったら、足元はどうでもよくなったらしくほとんど撮らなくなっていた。

道路をはさんで向こう側には八ツ沢線と川尻線が並んでいる。これが統合して1本の鉄塔になるところがあった。統合した後は川尻線というプレートが付いていた。
(左)3本一組が2つずつ付いた鉄塔が2本が、
(右)3本一組が4つ付いた鉄塔1本になった。

都留線253。柵がないので真下に行けるかなと思ったが、手前の足跡がかなり深くまで埋もれていたのでやめた。

都留線252。大正に立てられたものと平成に立てられたもの。コンビニのなかった大正時代、周りにはどんなものが建てられていただろう。

畑の中の都留線251。よく見てみよう。



都留線250の下は遊歩道になっている。ゆっくり歩いて鑑賞しよう。振り返ると今まで通ってきた鉄塔がずらり。

都留線249はカーブして道路を越える。

大正シリーズの最後は都留線248。送電線がぐっと下へ向かっている。川を越える。
鋲が年季を感じさせる。

圏央道の工事中の小倉橋


人間も新小倉橋を渡って相模川を越える。
橋から斜めに渡っている送電線がよく見えた。

連休で渋滞している車の横をてくてくと通り過ぎて、畑を抜けて川原近くまでおりていくと、都留線247。いつのものかはわからないが、新しかった。

次は見上げるだけかと思ったら坂を上れば足元へ行けた。しかも柵がなかったので真下まで行けた。
都留線245。246はなかったようだ。

ここから次が見えた。倍率21倍の単眼鏡でプレートの字が読めた。都留線243。244がない。

実際に近づくにはくねくねと坂を上らなくてはならなかった。プリントアウトした地図には都留線244も書いてあり、さらに城山ゴルフクラブという場所も書いてあったが、実物はなかった。さがみ縦貫道という国道の大規模な工事現場になっていたからだ。谷には出来かけの橋脚などがむき出しになっていた。掘り返した土でまわりは明るい茶色だ。
埋蔵物の調査も行われていた。道路ができてしまったら二度と見ることはできない地中。道路を造らなければ見ることもできなかった地中。

さて、都留線243に着いた。なんかバランスがおかしい気がする。足元がかわいい!鉄が足りなかったんじゃないよね。
このときちょうどいちばん日が高くなった頃で、影もぐっと短く濃縮されていた。鉄塔全体は影となって足元の正方形とほとんど同じくらいに収まっていた。

都留線242も同様の理由で、なかった。
工事現場のなかに都留線241があった。工事していなければおそらく足元には近づけなかっただろう。
ここで都留線と別系統がクロスする。奥へ行ってしまうと山梨まで行くことになるので、右に90°曲がってみよう。送電線はくいっと曲がっておしまいだが、人間はたいへんだったんだ。

ここはインターチェンジになるらしい。

そのすぐ横の林にはちいさな祠があった。

城山ダムを正面から見る


この山は城山。城があった山だ。かなり勾配がきつい。簡単には攻められそうにない。
ここを上る登山道。ここは男坂を行く。

なぜこんなほぼハシゴみたいな階段を通るほうを選んだかというと、

がんばれば、

城山線10の真下に行くことができ、

さらにがんばれば、


城山ダムが(ほぼ)正面から見えるからだ。

これで満足して山頂までは行かなかった。山頂まで1/3くらいまでしか来ていなかったのに足がガクガクになった。ガックガクだった。家来もだいへんだったろう。通勤。

今来た道を戻ってもういちど相模川を渡る。
川原で休憩した。もう、せざるを得ないという感じで座りこんだ。
今度は下の橋を渡るのだ。

川原にはBBQしてる人が何組もいて、そのうちの一組が大音量でレゲエ調の曲を聴いていたが、オレのそばにはキミがいて〜キミのそばにはオレがいて〜と歌っていて、内容は昭和歌謡なんだなと思った。

橋から津久井発電所が見えた。水がどっと出ているから発電中だったのかな?斜面の鉄塔はおそらく津久井線1。上に2があったから。
ここに八ツ沢線がきていたのだが、見てきたように途中で送電線はなくなっている。どうやって変電所まで行くんだろう。川尻線が逆に送電しているのだろうか。いらぬ心配だが。
ところで、画面左下の川原にすごい望遠レンズのついたカメラを持った人がたくさんいる。この人たちは何を撮っていたのだろう。カワセミだろうか。

都留線から離れたので、続きは城山線編で。
ガクガク。

その2 城山線編

小倉橋は1車線の橋なのに一方通行ではなく、
先に橋に入ったもん勝ちという通行方式だった。
信号があるのかと思うほど、相互に融通して通行していた。
バスも通っていた。

橋を渡って、登り坂。
橋から見えた発電所の上まで行く。
マンホールに今渡ってきた橋が描かれていた。

上りきったところに縄文時代の遺跡があった。
浄水場を過ぎたところに津久井発電所。
さっき見たように施設は川沿いの斜面にあり、
上まで来てしまうと特に何も見えなかった。
あるんだな、ここに。
それが感想だ。

右の鉄塔が津久井線2。
平たい形のものは八ツ沢線90。
塗りが剥げていて良い。

すぐ隣には太陽電池がずらっと並んでいた。発電力が高い。

今度は国道413号に沿って歩く。
20分くらい歩いて城山高校のグラウンドの中に城山線9。
都留線編さいごで山に登って下をくぐり抜けた鉄塔の次の鉄塔にやっと来れた。
鉄塔を追いかけている女性の先達が鉄塔に耳をつけて音を聞くというすてきなことをしておられたので、実は山の上で(正確には中腹だ)耳をあてて音を聞いてみた。50音では表記しにくい音だった。zとgとjとpが混ざったような音。濁点の混合体。またどこかで聞いてみよう。
グラウンドでは高校生の野球の試合が行われていた。放送部のアナウンス付きだった。「2番レフト◯◯くん」という女子生徒のきれいな声がした。

支柱は長いのに碍子の付いているところは内側。余った部分はなに。でもそこを削るとバランスが悪くなるような気はする。素人でも。

さて、もうそこは。
ここに歩いてくるとは。
向かいの緑の塊が城山。

まず展望台へ。いちばん端っこでもこの角度だから、さっき山の中腹から見えた角度はだいぶ正面に近かったと言える。

堤体からさっき見たところを探してみる。
画面真ん中の木々が途切れて小さくすき間の空いているところだろう。さっき前を歩いていたハイカーが登頂した帰りに通りがかったりしないかなと期待したが通らなかった。

城山ダムは堤体正面が山だが、ダム湖側も山。
今度はダム湖側の山を登るのだ。ダム湖左手の頂上付近に電波塔が見えていたが、まさかその高さまでは登ることはないだろう、と勝手に判断していた。どうして都合のいいようにしか考えないんだろう。こうだったらやだなと思ったことが起こるとは考えたくないのに、往々にしてそれが正解…。
着いてすぐ次の鉄塔城山線8を撮り、展望台に向かった。堤体など見て戻ってくると雨だった。
10分くらいの間に天気が変わった。

すぐ止むと判断して先へ。
おいしい卵ができそうな養鶏場のそばに城山線7。ここの卵でプリンをつくったらおいしいだろうな。

城山線7から2回線になった。
畑が開かれて、昔から人が住んでいそうな感じになってきた。
神社にあった。今回初だ。庚申塔。日当りがよく水も豊富だから、住みやすいそうなところだもの。
60日にいちどの庚申(かのえさる)の日は眠ってはいけないので、村人が集まって食べたり話したりして夜を明かした。眠るとからだの中の虫が抜け出して、天帝に自分の悪事を報告しに行ってしまうのだ。これを3年間続けた記念に庚申塚や塔をたてる。江戸時代に盛んになった習慣。これがいまでも結構残っているのだ。このように字だけのものや、青面金剛という仏と三猿(見ざる聞かざる言わざる)を彫り込んだ石像も多い。近いところでは5月5日が庚申だ。

神社の右を通って、木々の中に城山線6。いうまでもなく、さっきから、ずっと、上りだ。

幟だ。

幟の後ろに工事現場が見える。ここでもさがみ縦貫道の工事。トンネルを掘っている。奥に橋を新設しているが、おそらく今立っているこの道はトンネル完成後はなくなり、あの橋を通行することになるのだろう。

やはり神社が多い。神社を左折してさらに上っていく。
畑の中に城山線5。

足元には、ホンモノ志向の遊び場があった。ここで育った彼は(彼女かも)良き土木技術者となるだろう。

この先行き止まりの立て札の横を入っていく。舗装?してない。
山の水が川となる瞬間にも立ち会った。

地図からすると、ほとんど見えないほど奥に鉄塔はある。しかし、等高線から見ると鉄塔は今いるところよりかなり高いところにいる。ここにきてやっと高さを読むことを始めた。
もう見えるんじゃない?と左手上方をよく見ると、

いました。城山線(おそらく)4。
道はこの先すぐ尽きる。では、戻ろう。
この道はダムには通じてないのだ。
いったんさっきの神社まで戻って、別の道を上がっていくのだ。

下りていく途中、右に細い細い道がわかれ、奥に祠があった。虚空蔵が祀られていた。中はきれいに掃除され、新しいお供えもあった。そばには石仏が並んでいた。この道はその昔は往来が盛んだったのだろうか。

棚田だったと思われるところもあった。

お寺がひとつあって、その裏のえらく急な坂を上ると、二車線の広い道路に出た。
そのお寺の奥の院のような感じでナントカ権現(忘れた。戦いと養蚕の神だった。)が祀られていた。その境内から。左寄りなのは、先の山道ですれ違ったハイカーがど真ん中に寝転がって景色を見ていたからだ。

ここから本沢ダムまで30分くらい(2キロはあったはず)上っていったのだが、写真はない。撮る余裕がなかった。ちょっとやりすぎたかなあ、でも戻れないし。その繰り返ししか浮かばなかった。今思い出しても膝が痛くなりそうだ。

城山発電所に到着

そして、大ざっぱに立てておいた計画から2時間遅れて、やっと城山発電所に着いた。最初の山で時間も労力も予定外に使ってしまっていた。
城山線1。

足元からの眺め。城山の中腹にある城山線10から見えている。5と6は隠れているようだ。城山ダムの後ろ姿もどうぞ。

城山線1の向かいは変電施設?だ。ファンのついた大型の機械が4台並んでいて、右2台が東芝、左2台が日立だった。

ここからダムまで、まだまだある。
てくてくがとぼとぼになってきた。
アマチュア無線愛好家が「ここはよく入る」と言ってはりきっていた。機器をたくさん持ち込んでいる彼らは当然車で来ている。

町民のための遊歩道というところを町民ではないが入っていき、やっと堤体へ。
地元の方が多く来ていて、ウォーキングをしている。
高尾山までの登山道の入り口にもなっているらしい。時間が遅かったので、そういう本格的な人は見当たらなかった。
到着!GPSロガーが途中で止っていたので、何キロ歩いたかは不明だ。そりゃもう歩いたよ。

左隅に電波塔が見える。これを下から見あげるような地点にいた時は、あそこまでは行かないよねと思っていたのだ。ほとんど同じ高さまで来てる…。
出会いの広場なるところで腰を下ろし、コンビニで買ったコーヒーを飲んで足裏を揉んだ。正味10分の滞在。遊歩道の終了時間が近かったから。バス停めざして下山開始。
徒歩40分。

下りは楽だった。楽だと思ったら、それは「下り坂」ってことかー。ちょといい話をかましながらも、目は神奈中バスのバス停ばかり探していた。
バス停のそばで、天ぷらとビールで打ち上げ。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする