鉄塔ハイキング7 保土ヶ谷線62から子安変電所

その2 保土ヶ谷線43から住宅地をゆく

この日は曇りだった。
地下鉄で片倉町へ。
ここからスタート。

前回手前まで来た時、地図にサーカスとメモしてて何だったかなと思ったら、サーカスという店の角を曲がるという意味だった。
団地に入って行く。
なにかわからない細長い建物のとなりに、保土ヶ谷線43。


同じく団地内に、42。
送電線をぐっと曲げている。
碍子が右と左で数が違う。コーナーでいえばアウトに当たるほうが数が多い。送電線が長いからだろう。
芝生の掃除中だった。すごくていねいに熊手を使って葉っぱを集めていた。
梅が咲いていた。


こわいおじさんの横を通って団地をぬけると、次の鉄塔どころがかなり先まで一望できた。あそこまでいくのかー。


41も一般住宅の中にあり、しかもそのお宅の方が家の鍵をかけているところだったので、あまり近づけずそそくさと離れた。42と一緒に。遠くから見ても、42(奥の小さいほう)の碍子の違いが確認できる。

錆びてしまった看板が好きで写真がだいぶたまった。これはなかなか良い雰囲気。

写真にも一部写っているが、保土ヶ谷線40も道に面した部分以外全部、普通の住宅だった。鉄塔の足下はもはやどれかのお家の門柱のようであった。あまりにも普通のお家のなので写真をのせるのを躊躇してやめた。

また畑に戻る

次は地中に電線が伸びてるタイプだ。畑のど真ん中にいる。またもや耕作地帯に入った。


家に囲まれた40と畑に囲まれた39(手前)。飛行機みたいな形。
送電線がねじれている。下のほうにはなにやら宝塔のようなものが並んでいる。

では、次へ行きましょう。

このあたりはこんな感じの土地だ。背中側にはできたてほやほやの新興住宅、目の前が畑、そして古くからの住宅地、いちばん向こうはビル群。層状に発展する都市。


38は中学校の敷地内なので、遠くからそそくさと撮っておしまい。

37は保育園の駐車場の中。36に同じ行動。

水道道はすいどうみちと読む。水道道を歩いて次へ行く。ヤシの木とともに立つ保土ヶ谷線36。次の35とヤシの木と一緒に。次の鉄塔の形もちょっと違う。そして次の次は赤白だ。ヤシの木で隠れて写ってないけど。

隣り合わせで繋がる型

そして、おおう。2本が隣接している。保土ヶ谷線と別の系統がひとつになる。逆から見れば分岐する。
送電線のつながり方がすごいなー。右の上下2回線がまとまって赤白の右下にいってるみたい。写真で確認しようと撮ってはみたが、見てもよくわからない。お手上げ。


お稲荷さんと鉄塔。寿司屋と鉄塔。

横浜火力北線になる

名前が横浜火力北線となった。

さて次は、地図からもわかる階段出現。わくわく。期待にたがわずすごい階段だった。
横浜火力北線12。
13はどこいったんだろう?写真を見ても間にはなにもない。

だからこの写真は14-12のペアとなる。

錆がいい味を出す

古いお家のモダンな入り口。このお家は角にあるのだが、そこはまたすごい坂だった。

横浜火力北線11は引き戸だ。よく錆びている。錆びているのはまわりの金網だけでなく、本体もそうとう錆びていた。味のある錆であった。
ところで、碍子の数が上と下で違う。


この辺りは古い住宅地のようで大きなお宅が多い。その中の10。錆あり。

足下のカーブミラーに手前の11が映っていた。


鉄塔の後ろは谷で、尾根の道を左にカーブして進む。その道の左手には学校。最近、野球が強くて有名になってきた。神奈川県で野球が強いといったら半端ではない。この学校も、敷地の90%が野球のためにある感じに見えた。当然のようにたくさんの部員たちが練習をしているので、またもやそそくさ撮影となった。100人くらいいた。下っ端はグラウンドの外で腹筋などやってた。
横浜火力北線9。ネットから分かるように野球場グラウンドの横に立っている。


送電保守側からいえばボールが直撃しないように、野球部員側からいえば金網の中にボールが入らないように、ネットがかかってる。横浜火力北線8。


学校を通り過ぎたらお寺。お寺のそばの7。錆と寺と曇りはお互いに似合う。晴れなくてよかったかもしれない。錆日和だ。階段を下りてから振り返ったら見えた。


飛び出しが多いのだろう。車から確実に見えるように張り出したカーブミラーを通り過ぎ、踏切を越え、坂を上ると次の6。車が曲がりにくそうに曲がっていった。


横浜火力北線はごちゃり&地中タイプ。根元がY型の構造をしていた。地中へ行く送電線はどうなってるかと撮ってみた。迷路みたい。


庚申塚があった

次の鉄塔が左に見えていたのに、なんとなく右回りに遠回りした。そして発見。庚申塚だ。祠に入っている。守衛のような木も側にいる。当時の雰囲気を感じさせる。ここでも分かれ道の目印の木だったのかな。
しかし、もう遊ばなくなった人形を供養のつもりか持ち込んであり、やや異様な雰囲気だった。特に石仏の右の世界的に有名なネズミ女子の方。頭部が180°回転していて、恐いです。



横浜火力北線5は当然のように錆びていた。そして小さなものに囲まれていた。小さな階段。3段。てくてくてく、で終わり。

そして、向かいのマンションの小さな広場。まるで鳥かごみたいだ。止まり木もあるし。でも足跡がたくさんついていて、人気を物語っている。落ち着く狭さだな、確かに。


この辺りは起伏が大きく、次が見渡せない。坂を下りて行く途中、横道の階段を上ると錆びてる4があった。

これが変電所の外では最後の鉄塔だった。

子安変電所に到着

階段を下りたら、子安変電所であった。真ん中のいちばん大きいのが横浜火力北線3。その左横にあって変電所のそとにあるのが、横浜火力南線3。

反対側から。枠のように見えるのがおそらく1。その手前の平べったいのが2。いちばん奥に小さく写っているのが3。

終点に着いたし、さて帰ろうと京急の子安駅目指して歩いていたら小さな神社があった。境内を歩いていると白い猫が鳴きながらついてきた。でも神社から出ようとはしなかった。右目と左目の色が違う猫だった。

この神社、小さいから地図に載ってないのかなあと思いながら歩いていた。踏切があった。警報音がさっき渡った東急の踏切と一緒だなあ、鉄道会社が違っても同じ音がするのかと思っていたら東急がきたので驚いた。京急に近づいてるつもりで歩いていたのだから驚くのも当然だ。
どうやら、左に曲がらなければならないところを直進しており、90°方向を間違えていたのであった。

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