鉄塔ハイキング12
天竜川カラ来マシタ
佐久間東幹線を出迎える
2011年6月の記事を、2020年8月、一部改編しました。
橋本線を追いかけていたとき、古淵駅付近で佐久間東幹線を見つけた。
静岡県と長野県の境から東京都町田市まで電気が運ばれている。
430番から最後の西東京変電所まで行ってみよう。
地図で確認すると、最初は平地だが最後は山越えがありそう。
距離はたいしたことない。7キロくらい。
高さは計算に入れてない。
到着が夕方になることをねらって午後出発。
夕暮れの中で見てみたいのだ。
佐久間東幹線430から441 民権の森まで
畑の中の佐久間東幹線430を、畑には足を踏み入れずに遠くから見て、向かいの431へ。
これが430。
送電線の高さを派手に変えている。表と裏の送電線の高さが全然違う。
そして431。
次が見えている。てっぺんが黄色。かかっている電圧による色分けか?よくわからない。
足元は工場で、規則的な機械音がしていた。製品とおもわれる金属の束が建屋の外に積み重なっていた。
踏切を渡って432。横浜線から見えるやつはこれだ。
畑の中にいた。
道路を挟んだ向かいのビニールハウスの前では野菜の苗がたくさん売られていた。レタスかな?
平地だし道もたくさんあって鉄塔も道も見つけやすく、次から次にたどり着く感じ。
433。
歩いているとよく見る景色。畑、できたばかりで垣根まで手が回っていなさそうな住宅、これからまだ増える家に囲まれる気配の鉄塔。
画面でいうと、右下に細い道がある。細い道が好きなのでわざとそこを通ると、家が並んでいた崖をコンクリートで固めてあって、そこに絵が描いてあった。落書きでも、小学生の卒業記念でもなさそうだ。
通り過ぎて振り返って撮ったので、崖が右になる。
通り抜けるとその正体がわかった。江戸時代からあったであろう一本松をおそらく今見た宅地の開発のために切り倒したのだろう。それをしのんだプロジェクトのようだ。
城へつながる街道にあった松の木らしい。
50メートルくらいの長さに渡って描かれていたが、その中のひとつ。
描かれたのは去年の8月。
怪獣がかわいい。
坂を下って川を渡る。境川。橋本線追跡のときにいちど渡っている。東京都に入る。
鵜が一羽いた。鯉はたくさんいた。
次は団地の中。川沿いの道がよさげなのでしばらく歩いてから左に折れて団地へ入ろうとしたが、フェンスが延々続いていて入れそうになかったので、いったん橋まで戻って川から離れた道へ進路変更した。防御力の高い団地だ。
ようやく鉄塔へ近づく。佐久間東幹線は赤白だが、すぐそばの小さい鉄塔の電線が赤白を貫いているように見える。
珍しいものが見られる?と思ったが、接近しているだけで貫いてはいなかった。でも、この送電線のニアミスかげんは美しいとおもった。434。
給水塔の近くを通ったので撮った。
いちばん高いところにスピーカーがついていて、団地らしいなと思った。
団地を通り抜けて次へ行く。もーいーかい?なんて子供の声が聞こえてきた。ちょっと低いところにできた大きな水たまりにそおっと入る小学生女子たち。裸足になるのは時間の問題。遊べ遊べ。
次はあれだ。坂の上。
カーブしていて、アウト側がV字の碍子で吊っている。
1本では支えきれないのかな。やはり電線が重いんだと思う。見たことないタイプ。
でもそれどころじゃなかった。
本日のベスト賞でました。佐久間東幹線435。
なんすか、これ。
いままでの鉄塔観をくつがえす一件。もしかしたら鉄塔界ではもうふつうのことなのかもしれないけど。
すぼまってる。
末広がってない。
省スペース。
万博パビリオンにこういうのなかった?
昔よくあった公園の遊具にも似てる。
足元はこうなっている。何かの効果をねらって逆光にしたのではない。そうなっちゃっただけ。
いやはや、
おもしろいねえ。
町田街道を渡って、また別の団地に入る。
スーパーの向かいに436。
鉄柱ではなく、鉄骨を旧式な感じで組んである。錆。
東電の鉄塔とおなじように施行年月と高さを書いたプレートがないか探すとあった。
これまた古めかしくてよい感じ。高さは書いてない。
昭和三十年というと佐久間ダムができたのとほぼ同時期。逼迫する首都圏の電力需要へ必死で応えた戦いの痕跡。
団地は続いている。437。
このあたりの棟は外壁が真っ白で塗り替えて間もないようだった。塗り替えの時期は棟ごとネットですっぽり覆われて家が暗かったなんて思い出した。
送電線と平行して歩くのだが、わりあい低いところを走っている電線からずっとバチバチと音がきこえている。電気!送ってます!天竜川から!
道路を越えて別の団地に入った。
団地と言えば芝生。芝生のむこうに438。
次の鉄塔の前におおきな溝がある。元、川だろうか。元、川底には公園がぽつんとあった。
地図には道のない、やや不自然な空間として書かれていた。
その元、川を越える橋の上から、439。橋の上で、なぜか散歩中の白い犬がこちらにものすごく勢いよくすり寄ってきて飼い主さんを慌てさせていた。こっちも慌てた。
近くまで行ったら、周りは竹林だった。
団地内を通り抜けていちばん端の棟まで行く。そこに440。
横長ではなく、縦横高さの比率が行灯みたいな棟があった。
かわいらしい棟を最後に、団地はここまで。ここから山。カッチリと線がひかれたように変わる。
人口密度がかなり下がる。次はあんな山の上。
坂を上ったり下りたりしていると、ところどころに、パンとケーキと書いた小さな看板がでていた。
矢印の方向は鉄塔と違うけど、行ってみることにした。
控え目な看板のとおり、小さなお店だった。小さいのは、自宅がアトリエだから。
自宅の一角でパンとケーキを焼いている。花がいっぱいの広いお庭にはテーブルと椅子が置いてありそこでくつろげるようになっている。パンを買ったらコーヒーをサービスしてくれ、それをお庭で飲めるのだ。
鉄塔も見える。441。
田辺聖子さんの小説にでてきそうなお店だった。ちょうど同じときにコーヒーを飲んでいた母娘が、こういう店をやるにはどうしたらいいかを話し合っていた。憧れを実現するとはこういうことなのか。とてもよいところだった。
坂を上って、441の足元まで。周りには比較的新しい住宅が並んでいた。デザインが一軒ごとに違っていて、個性的な人が住んでいそうな地域だった。駅までは相当遠そうだが、かえってそれがいい、と考えそうな人たち。さっきのパン屋さんがあるのも納得できるような自由な空気。
畑もある。小さく区切っていろいろな野菜を栽培している。その中に442。
鉄塔は直線で構成されているイメージがあるが、曲線もある。うねうねしている。
右手に菜の花畑を見ながら坂を下りていく。
何かいる。
これだ。
何だ?
443から450 静岡の山奥から始まる送電線の最後は
次の鉄塔443は一見、道のなさそうなところだったが、民権の森入り口というところを入っていくと、足元まで行けた。民権とは自由民権運動のことで、ここ町田でも盛んだったのだ。木が茂っていて、鉄塔はほとんど見えなかった。
この丘は野津田神社の鎮守の森でもあり、鉄塔すぐ横に古い祠があった。
坂を下りて振り返ると、443が見えた。これで山をひとつ越えたが、この山全体がひとつの自然公園になっていた。
川を渡る。鶴見川。鶴見川ならいままでの鉄塔ハイキングで何回か越えている。鶴見川は横浜の川という感じだが、水源は東京都なのだった。知らなかった。
さて444だ。平成二年もの。次がまた山の上だ。
バス通りを渡って、向かいの山へ入る。
何気なく見たバス停の時刻表がすごかった。
裏側も見たが、平日ダイヤはない。だからこの路線は週1回しかない。
このバス停自体には他の路線も来るので、バス停は毎日使われている。
何を目的とした路線なのだろう。日曜日の午前8時だけ。
バス通りを外れると道は寂しくなり、坂は急になった。
家がまばらになったが、坂を上りつめるとお茶処があった。
林の中にひっそり445。足元からは木でほとんど見えない。
道はもっと奥に続いていたので行ってみると、林を抜けて明るくなった。
そして道はなくなった。
そこから445が見えた。
丘に寝そべりたい。
急にぽっかりと開放されていて、なんとも不思議なところだった。
山を下りる。
あいかわらず道は細く、片側が林なので暗い。
そこにこんな張り紙があった。下の黄色い張り紙と同じ意味のことが書いてあるのだろうか。それとも何か別の意味のことが書いてあるのだろうか。読者をかなり限定する張り紙だ。
そして446。山を越えてきた。
後ろの赤白鉄塔の斜めになった鉄骨にちょうど西日が当たって、ヘビがからみついているかのようだ。
坂を下りきると、門があってこの山もひとつの公園であった。6時には門が閉まってしまうらしい。閉園時刻が近づいていた。
次の鉄塔に行く前に、先ほどの赤白が遠くから見ても相当高いので気になり、どのくらいなのか見に行った。
さて、下から見上げてこのくらい。高さは何メートルでしょう?
わかるかい?
答えは138メートル。
また山へ入る。
今度は公園ではなく、産廃置場と墓地。
中学生男子が野球のユニホームのまま集団で自転車レースをしていた。
アップダウンが激しいので下りは相当速度が出るようだ。
林の奥に447。うかうかしてると隠れて見えなくなりそうなので、あわてて撮った一枚。
日が暮れてきた。
花畑も東屋もなく、トタンの塀の向こうにずらりとトラックが並んでいたりする。
京浜線とクロスする448。
てっぺんの黄色がきれいにでた。
知られた抜け道らしく、車は多い。
ウォーキングの人もいる。周りは殺風景だけれど、木はこんもりとしている。
坂を上りきっていちばん高いところへでると、ファイナル鉄塔がちらりと見えた。
終点が近い。
その前に449。
449の送電線をくぐって、坂を下りていく。
夕暮れの鉄塔。
車一台分の幅の道でしかも一方通行になっていないのに、車がどんどん入っていく。
なんか見たことあるなとおもったら、四国の山の中の国道はこんな感じだったことを思い出した。
坂を下りきったところで左に折れて細い道を入っていく。
さらに変電所の壁伝いに奥へ。
ついに終点。佐久間東幹線450。
振り返れば449が見える。450のプレートがいい雰囲気。
空中を伝ってきた送電線が下りてきた。変電施設へ流れていく。
最後の碍子。電線を張る治具の頑丈さ。
天竜川からついてきたわけじゃないのに、最後の鉄塔を見ると「とうとう来た」と感じてしまう。
距離にして約200km。450本の鉄塔の(うちの20本を見た)佐久間東幹線。
変電所の細い道を戻ってきたら、月がでていた。
鶴川駅までさらに2km。
番外編 佐久間東幹線はこんなところを通っている
R16は混むから。出発は5時。
橋本まで30分は空いてるうちにはいるだろう。
城山登山口を右手に見て、ここ来たよ!歩いて、と思い返していると目的地が近づいた。
串川橋で、そういや夜間通行止めじゃなかったっけな?朝はいつから通れるのか知らずに来ちゃったな、とやっと気付いた。
6時40分。閉まってた。
コンビニで待機。7時を待つ。
7時15分。あれ?開いてない。
職員さんがごめんね〜と言いながらやってきて、通行できるようになった。
すぐ後ろに、尾翼なようなものを載っけた、車高が高いとはいえない、眼(ライト)のつりあがった車が来て一緒に開くのを待っていた。わたしは道ばたにあるものの写真を撮りにきただけなんだが、バザード出して狭い道路に寄せて止ったら怒られそう。どうしよう。そういやこの先に駐車場みたいなのがなかったっけな?
あった。よかった。後ろの車はそろそろとカーブを曲がるわたしに別段怒ったそぶりも見せず、同じ駐車場に入った。そこにはたくさんのバイクと、後の車と同じように尾翼付けて「走りまっせ」と主張している車が来ていた。
駐車場からの景色。
すでに暑い。
撮りたいものまでは1.7キロだそうだ。カーナビが教えてくれた。近い。
では、車を置いて歩きましょう。
いい天気ですな。
バイク1台で轟音が響く。中はあまり涼しくなかった。
人も車も関係ねえ。とばかりに伸びる。いいぞ。
どうやらここはいわゆる走り屋な人たちの周回コースとなっているらしく、朝も早よから平べったくて眼のつり上がった車が轟音とともに走り抜けていく。あ、またあの黄色いの来た、という感じ。湖の向こうからも音が聞こえてくる。
見えてきた。
車じゃなくて、鉄塔を見よ。
金網はあるがガードレールを越えれば中に入れるな。(入ってません)
はい到着。佐久間東幹線384。サンパチヨン。終点である西東京変電所の66本前である。
送電線の下にいると、ここでもバチバチと音がする。
鉄塔の向こうには。
宮ヶ瀬ダム。ここは宮ヶ瀬湖だ。今年は電力需要に対応するため、観光放流はしないのだとか。
では385はどこか。山の上かー。
383は。これまた山の上。
さむいギャグでも言った?周りの木、ドン引き、みたいに見える。
湖を渡る送電線を見てみよう。
と思ってファインダーをのぞくと、山の中腹にもう1本あった。正しくはこれが385であった。
さきほど385だとおもったのは、386だ。
ごめん、気付かなかった。
では改めて、384、385、386。
できる限りの望遠で斜面に張り付いている385を見ていたら、すっかり気に入ってしまった。目立たなくったっていいんだ。しっかり仕事してる。山に咲く花がそのけなげな仕事ぶりを見ている。
道ばたにある鉄塔を見られればいい、くらいの軽い気持ちで来てみたが、いいものを見た。
この3本はこんなふうに並んでいる。横から見たところ。
こんなふうに、途中をぽつりと見てみるのもいい。
8時をすぎて家族連れの車が来はじめると、走り屋の人たちは走るのをやめ駐車場に車を並べて互いのエンジンを見ながら話をしていた。
おまけ
網に獲物がかかりすぎてどこから食べればいいのかわからないし腐りそうだしで、ヤケおこしてないだろうか、このクモ。
薄緑のてんてんがみんな、虫。黒いのが、クモ。
嫌いな人は拡大しないでね。
番外編その2 佐久間東幹線此処ニ始マル
本編より番外編のほうが多くなってしまった。それだけ長い線なのだ。
東名高速を袋井で下りて、天竜川を遡る。
天竜川の水源は諏訪湖。
今回は静岡県と愛知県の境まで。
佐久間ダム
この水を使って起こした電気を、あの宮が瀬湖を越えて鶴川の奥の変電所まで運んでいるわけか。
と思いを馳せる前に、でかいなー。そっちが先。
いいですね。素直に。
ダンプカーがあんなに小さく見える。大きいって感覚が上書きされる感じー。
なんてのんきに感心していたが、戻るとき最初に通る、あの狭いトンネルでダンプと行き違う可能性もあるわけで、それを考えるとにわかに緊張した。
さて今回はいつになく、取水塔に注目。
この下のほうから水は鉄管を通って発電所へ送られ、高低差で生じた水流により水車をまわすのだ。
全体図は以下のとおり。
堤体をつくるのも大変そうだが、こんなに大きな鉄管を何百メートルも山に通すのも相当大変だろう。すごいことだよ。電気をありがとう。
では、少し下る。
ダンプ、来なかった。よかった。
佐久間周波数変換所から佐久間発電所へ
浜松市公共駐車場という広い駐車スペースに停めて徒歩でうろつく。
まず向かったのは、佐久間周波数変換所。
建物が、あった。それを、見た。
このあたりはのんびりしたところで、向かいには駐在所があり、その前には半鐘のついた古い火の見櫓があった。火の見櫓はいたるところにあったが、ここ天竜川では、火ではなくて川の水の増減を知らせるためのものだったんじゃないかなと思った。
そしてめざすは、佐久間発電所である。
国道を歩いていく。
途中、みつけたもの。
「歩危」の湧水だ。
歩危といえば、吉野川(徳島県)の大歩危小歩危が有名だが、ここにもあったんだ。歩くだけでも危ないので歩危というらしいから、このあたりも険しい渓谷だったのだろう。道路を挟んで向かいには、溺死者を祀るための石仏がずらっと並んでいて、往時はほんとうに厳しかったのだろうと思った。
落石注意の標識をかわしながら1キロ近く歩くと、見えてきた。
入り口は閉ざされていて、奥に鉄塔が小さく見えるのみ。
道はこの先トンネルになっていて徒歩で入るのは危険なので、近づけない。
だから、反対側から近づいてみることにした。
この鉄塔かわいい。
この地域ではわりとそこらにある。
ウチの近所にもあればいいのにな。
天竜川を渡る。徒歩で。
飯田線の線路を右に見ながら、小学校を過ぎる。
このくらいまで近づいた。
もう少しどうにかならないかしら。
飯田線の鉄橋をくぐって、もっと奥へ行ってみる。
佐久間第二発電所の近くまで来た。
でも、対岸の鉄塔。遠いな。
しかたない、これくらい見えればいいかと車に戻りつつ、碑が建っていたので見ておこうとこの道を上がってみた。
碑は三信鉄道殉職者の碑だった。難工事だったのだろう。ここでも厳しさがうかがえる。三河と信濃で、三信か。飯田線の前身かな。
ところで、渡れるみたいなんですけど。徒歩で。
鉄道の鉄橋って徒歩で渡れるんだ。
実際歩いてみると、かなり怖い。だから途中の写真がない。
なるべく下を見ないように歩いた。
渡りきったら、鉄塔の脚元だった。わはは。
また、そこには駐車場もあった。車で来れたんだ…。
でも!鉄橋を徒歩で渡ったもんね。いい経験。
わたらない、とは書いてない。だから、よいこだ。
どれが佐久間東幹線だろう。
正解は最初に脚元にたどり着いて写真を撮ったそれだった。
佐久間東幹線此処ニ始マル。
この一号鉄塔に電気を送りこむのが、これ。
こんなふうにつながっている。
これがほんとの始まりだ。
満足した。
さて、こんどこそ車に戻ろうと鉄橋に向かうと。
その昔あわてんぼがいたらしい。
発電に使われた水がどおっと出てきていた。
お疲れさま。
梅雨明けの、その日。
まごうことなき夏だった。
秋葉ダムが放流していた。
秋葉ダムのあたりは龍山という地区で、ここのおかあさんがたがドラゴンママというグループを作って、手作りの味噌、漬け物、こんにゃく、ジャムなど多彩な商品を売っていた。ちいさな食堂もある。山菜てんぷらそばがおいしかった。山菜はもちろんそこらで採れたもの。もみじいちごという、山のてっぺんにある野生の珍しいいちごのジャムがあったので買ってきた。ここに寄ってよかった。
秋になったらまた行こう。
帰りの東名では渋滞がまったくなくて、かえって不思議な感じだった