鉄塔ハイキング10
橋本線を逆走する
2011年4月に記録したものを、2020年8月、一部改変して再掲しました。
なぜ橋本線か。
わたしは横浜の右斜め下から左斜め上へ車で通勤している。
あの日から、ガソリンは買えなさそうだし、緊急車両の邪魔もしたくないので、
電車で行くことにした。
電車だといったん上へ行ってから左へ行くことになる。
利用するのは横浜市営地下鉄。
地下鉄だけど、終点のあざみ野に近くなると地上部分が増えてくる。
車窓から鉄塔がたくさん見えた。地図で見ると港北変電所が沿線にある。
鉄塔がどこへつながってるのかを地図上で追ってみると、橋本変電所へ行っているようだ。
鉄塔は橋本からさらに山へ向かっている。
鉄塔の番号は港北から減っていくか増えていくか。減ってたら、鉄塔は発電所に向かっている。
もしそうなら、そこに水力発電所があるのではないかしらん。
そう考えて、鉄塔の番号が増えてるか減ってるかを確認に行った。
減っていた。
港北変電所に向かう
出発は新羽駅。にっぱ、と読みます。地下鉄の地上駅。
変電所まで徒歩10分といったところ。
鉄塔は大きくて遠くから見えるから、それを目印にしていればどこを通ってもいい。
ということで、わざとちいさな道に入ってみると、あったー。
庚申塚。年代は不明。
右の仏像はなんだろう。鳥居がある。頭に付いてるのは狐?
今よく見てみると、三猿の下、富士山じゃないか?実物をもっとよく見ときゃよかった。実は富士山信仰にも後ほど出会うのだ。
さらに畑の中の急坂を上る。3週間歩くのさぼってたから、足にくる。
右下のブロック塀で傾斜がわかるけど、人の通行を考慮した道じゃない。
右手の畑では女性がひとり作業をしていた。
あとからわかるが、ここは横浜北部の広大な耕作地帯の序幕だった。
本気の耕作地帯が延々鉄塔とともに続いていたのだ。
坂の頂上付近には、収穫されなかったブロッコリが花を咲かせていた。そのまま植えてるとこうなるんだ。野菜の花はわりとみんな似ている。
そして港北変電所の西端に到着。港北変電所は、変電施設が丘の上にあり、丘の斜面に鉄塔が並んでいる。鉄塔のまわりは竹林だ。コンクリート塀と鉄線に囲まれた変電所とは違う雰囲気をしている。
変電所内に北島線3(赤白)があり、第三京浜をわたってすぐに北島線4がある。ここから2系統に分岐する。そのうちのひとつが橋本線だ。
99番から始まる長い旅の1日目 99から71
これが1本目。橋本線最終番の橋本線99。ここから逆にたどる。番号は減っていく。
電線の下、鉄塔の中ほどの左側に碍子が1個だけぴょこっとでているのがかわいい。
さて、次は。と見てみれば、一目で瞭然すぎるほどの並びぐあいだった。何本先まで見えてんだ。
右の2導体の鉄塔は港北線。これも番号が減って、多摩地域へ向かう。容量が大きいことから、おそらく関東よりも北にある大規模な発電所からのものだろう。それはつまり…
橋本線98は植え込みの向こう。港北線と最接近。鉄塔の向こうは崖。崖の下に道路。
つっきれないので、迂回。道路は思ったより低いところにあり、先ほどの2本の鉄塔をはるか上に見上げることになった。
港北線を右手に見ながら、次を目指す。
鉄塔があったんじゃないかと思わせる空き地。
谷にある道路は脇にある道と交差するところが少なくて、曲がるところを行き過ぎるとだいぶ先の交差点まで行かなくてはならない。新規に開発された道路は始点と終点を結ぶことが優先され、途中の道とはあまり仲良くないようだ。
橋本線97。さきほど一目してわかったが、この先の鉄塔は(素人からみて)ほとんど同じ形。いっそすっきりしていいが、記憶があやしくなりそうだ。
鉄塔のサイトやブログで諸氏の記録を拝見していると、この鉄塔は高さ何メートルと書いてあって、観察歴が長いと目測で高さまでわかるのかーと感心していた。目測できない人は鉄塔にかいてある情報を見ればいいのですね!今回初めてちゃんと見た。
橋本線97。昭和55年生まれ。高さ71メートル。
このへんは地下鉄の車窓から見えるところ。いかにも新興住宅地という感じのきれいな町並みなので、そういうところを歩くもんだと思っていたが、鉄塔は広い広い畑にそびえ立っていた。
橋本線96は坂の途中にあり、足の長さが違う。こういうとき高さは何メートルというのだろう。
橋本線95のまわりは園芸用の植物が植わっていた。足元へは行けず。
橋本線94も畑の中。ほんとに広大な農地。今までに通ってきた羽沢や戸塚よりも広い。
畑の向こうは、あたらしいマンション群。赤白は港北線。
ところで、この積み上げられている丸いものは、ブロックとして壁面を作ったり、畑を覆うビニールを押さえたり、フタを押さえたり、多目的な物体だった。どの世界にも便利グッズがあるんだ。
さて次の橋本線93は高さ80メートル。足元の建物はJA。
鉄塔の側には古い木の電柱があった。ほんとうに古かった。
JAの産直マーケットもあった。売っているものは野菜だけでなく、苗、焼き芋、軽トラ(5速MT・100万円)、地下足袋、半長と呼ばれる長靴、漬け物用の直径1メートルほどの樽、そして節電の今、わたしがいちばん欲しいもの、座敷ほうき。昔のお婆さんがザザーと音を立てて部屋を掃いてる、あれ。けっこうお高くて3500円だった。鉄塔ハイキング中でなければ買ったのだが。
広い道路を渡っても畑は続く。
これ、橋本線91だった。何度も見たが、92がないのだった。新しく街を造るときに撤去されたのだろうか。
文字プレートあり。高さ74メートル。
次は公園の中にある。橋本線90。畑の中に突如公園があるのだ。
滑り台がすごく楽しそう。
富士塚に遭遇
次は真ん中の鉄塔。右のファンキーな煙突はゴミ焼却場。まわりはやっぱり畑。
雲がたなびくってこういう感じかな。のどかな春。
しかし、すぐ近くのこの鉄塔、なかなか近づけない。公園には駐車場がないのに車で来る人が多く農道に車を停めてしまうため、農道を封鎖してあり、今までのように畑の中の道を進むことができないのだ。
ということで迂回。橋本線89。アップで。
長かった耕作地帯が終わり、住宅地に入った。
マンションの中にある橋本線88。
花とコラボ。花が咲いてる…ってだけでじーんとくるような春を迎えるとは冬のさなかには思ってなかった。
次も住宅街の中。街路樹がモクレンでまたしても花とコラボ。
橋本線87。71メートル。
次へ向かおうと歩いていると公園の中に奇妙なものがあった。古墳かなと思うような、もり立てた土。階段もついていて頂上まで上れるようになっている。このあたりは縄文の遺跡もあるくらいだから古墳があってもおかしくない。
近づいてみると説明板があって、これは富士山なのだそうだ。
川和(かわわ)富士という。江戸時代に富士山信仰によりつくられた、富士塚の一種だ。
では、アタックを開始します。
登頂成功。頂上からの眺め。
無事、下山して次へ。橋本線86。
足元の土にカバーがしてあった。
またしても谷に道路が(地下鉄グリーンラインも)走っているので、越えていく。
山を削って造った今ふうの住宅地ではなく、ずっと昔からあるとおもわれる感じのいい住宅街に、橋本線85。逆光。
すごい生えかたしてる木を眺めながら、橋本線84へ。電線が縦横無尽。
ここから、道が狭く入り組んできた。昔は畑や田んぼのあぜ道だったんじゃないか。その区画をそのまんま使っている感じ。車は入って来れないような小さな道もある。堆肥か何かの飼料をつくっているような施設がある。
その中に看板も出してない小さな小さな雑貨店があった。地元の男の子が自転車で乗り付けて、なにかを買って出てくる。市販の駄菓子ではなく、ビニール袋にはいった揚げ菓子みたいなものを持ってたり、この子は紙袋に入ったなにかを持ってる。この子たちを見なければそこに店があることに気付かなかった。店の前に雑誌や新聞のスタンドすら出ていない。地元民しか知らないところ。
小さな平屋の県営住宅といった風情の建物の間を歩いていくと、左手がスカスカした林になった。果樹園は木と木の間を開けて植えてあるが、それではない。下草は刈ってあり手入れはしてあるが、木は伸び放題。公園にしてはベンチすらない。柵もなくて、どこからでも林に入っていける。
そこは神社だった。鳥居が立派。今までのハイキングで耕作地帯にはお稲荷さんをはじめとして、神様が祀られていることが多いことはわかってきた。ここもそうなのだろう。
お社の裏、といってもスカスカの林だから横から丸見えだけど、小さな祠が点在していた。その中に発見。文字のみのタイプ。庚申塚。
道路に面した橋本線83。向かいにかわいい看板。川和小学校の大豆畑なんだって。右下の白いのは豆腐だよね。授業で、大豆から豆腐までつくるのかな。うらやましい。
橋本線82は川べりに。赤白。65メートル。晴れてきたのできれいに撮れた。
次はもちろん、川のむこう。映ってるでしょ。送電線もちゃんと映ってる。
橋がかなり遠くにかかってて、そう簡単に行けないけど。
橋の上からは2本の鉄塔が遠くに見えた。
また畑が広がっている。畑と猫ってイメージないけど、たくさんいた。
畑でよく見るのは、おじさん2人組。土や作物を見ながら延々しゃべってる。楽しそう。
上の写真で川に映っていたのも、そういうおじさん2人組だった。
そんな中の橋本線81(いちばん左)。ド逆光。足元には寄れなかった。なんか違うなと思ったら、ガードレールがない。
山というほどでもないが、山越え。振り返ると、並んでるー。いい眺めだ。
上も畑になっていて、その中に橋本線80。鳥の鳴き声しかきこえない。静かだ。
住宅街に溶け込む
同じく山の上に橋本線79。そばには収穫されなかった白菜があり、花が咲いていた。白菜を割るようにして出てくるんだ。もとの白菜からは想像できない姿。これは種を採ろうとしているのかな。
急坂を下りていく。下りきる前にまた上る。その途中に橋本線78。誕生日(7月8日)と同じ。
公園を突っ切る。みょうに起伏の激しい公園で、またしても足にくる。ぜえぜえ。
次はあんな高いところに。しかもいったん下りてから上るんだ。
すれ違う子供は半袖だった。鉄塔は木の向こうでよく見えなかった。
プレート確認できず。
東名高速を越えて、次に向かう。公園の中にいた。プレート確認できず。
大きな家が並んでいる地域に入った。
そんな中、橋本線75は赤白。家に取り囲まれていて、足元にも寄れないしプレートも見えなかった。
チラッと見えた次の鉄塔はなんだか鉄骨の編み目が細かいような気がする。
なんというか、そうストッキングかぶったような。ああ、またでてきた。
近づいてみたら、ネットがかかっていた。カラス対策か。橋本線74。
近くのお家の工夫。木から落ちた花を拾って飾ってある。並んだ並んだ。かわいいな。
ぐわーんと下ってまた上る。次はJTの研究所の中の赤白。
次も家に取り囲まれ近寄れなかった。
その次は、立派なお家の庭の一部。きれいに刈られた植木とともに。プレートが確認できないが順番からいけば橋本線71。きょうはここまで。
近くの公園でカメラをしまって、青葉台駅へむかった。
公園の桜はほぼ満開。まじめに投球練習する小学生がいた。
次のは形がおもしろい。はやく足元に行きたい。
2日目 71から63
前回、おもしろい形だなと気になった橋本線70は公園の中にいた。
すぐ横は変電所だった。
左下に送電線が下りている。
変電所の設備がよく見える。3本の送電線のうち1本にだけ丸いものがついているが、何をしてるんだろう。名前もあるのだろうな。なんというのだろう。
桜と鉄塔
あのたいへんな年は桜が咲くのが遅かった、とこれからもずっと思い出すだろうか。青葉区の公園には桜がたくさん植えてある。それが満開を迎えた。
R246を渡るために迂回。
橋本線69も桜に囲まれていた。このへんも坂が多い。坂の頂上の台座の上の鉄塔。
東急を越えると桜並木。公園の中に続いてる。その公園の奥、いちばん高いところに橋本線68。
向かいの小学校の校庭にも正門にも桜がたくさんあった。
公園からまた下っていく。そしてまた坂を上がって、住宅街の中の橋本線67。すき間に階段。両側から迫ってくる家からかろうじて守っている陣地みたいに見える。
強い風で、ぶらさがっている碍子がゆらゆらしていた。
遠くの鉄塔もよく見える
急な坂を上がりきると、見晴らしがいいところにでた。
今までに通ってきた鉄塔が見える。画面真ん中のうすピンク色の建物の右側にちいさくゴチャッとまとまって見える。
倍率を上げてみる。
赤白が2本ある。奥にみえるのは橋本線82。川べりにいたやつだ。もっと先まで見える。
橋本線は軒並み高さが70メートルを越えているので、遠くに見えているときに撮っておかないと、鉄塔らしい全体像として撮れないことに今頃気付き、遠くからも撮っておくことにした。
歩いて近づいてくる間に、ちょっとのぞいていた青い空がなくなって雲ばかりになってしまった。空が風の強い日らしく、ころころと変わっていく。
橋本線66。
さて次は赤白。
真ん中に立ってみた。つもりだったが、ちょっとずれた。対照になってなかった。
これは高いな。高さが書いてある札、見えなかった。台座ごと高くて、あこがれの存在のようになってる。手が届かない。
ところでこれは橋本線64だ。さっきのは66なので、また、あいだが抜けている。JRのは枝番があることで番号より実際の本数が多かったが、今度は抜けているので、番号より実際の本数は少ない。
椎木地蔵尊というのがあった。たたみ1畳くらいのお社に30体くらいのお地蔵さんがみっちりとおられた。庚申塚はなかった。4月14日午後1時から3時まで例祭だとかいてあった。2時間に凝縮された祭。
坂を下ると次が見える。トタンで囲まれている雑木林の中にあるので近寄れないかと思ったら。
こうなっていたので、
足元まで行った次第。橋本線63。
今日はここまで。
次は、好きな、ぐいっと曲げ型なので、もうすこし天気がよくて風も強くないときに見たい。鉄塔の足元は東急の車両工場。その向かいの「酒」と書いた倉庫のような建物も気になる。
レンズに細かいゴミがたくさんついてた。
次ページに続く。