四国へ行ったら訪ねてほしい場所
2011年10月の旅の記録です。
2020年8月、一部改変して再掲しました。
内容は2011年当時を反映しています。
その1ゆとりすとパークおおとよ
ここまでのバス路線はなく、駅からの送迎バスもない。
ぜひ車で、車がなければ乗せてもらってでも行ってみて。
鳥瞰図が好きなひとにもおすすめだ。
ジオラマ好きにもいいかもしれない。
R32から看板に従って曲がった後どんどん激しくなる勾配とカーブを乗り切って、風車の脚元にたどり着く。
入場料500円払って、階段を上る。
さらに上る。
上りきると、レストラン、売店、クラフト教室などがある。
幻のお茶、碁石茶はここでも買える。
芝生の丘を登る。風がびゅうびゅう吹いている。
そして振り返る。
どうですか。
行ってみたいでしょう。
高知市から高速を使わなくても1時間で来られる。
社会の時間に覚えた四国山地が目の前に。もちろん本物だ。
どの山が何山かわかるようになっていて、「ああ、あれがあの白滝の。見えるんだ、へええ。」なんて会話していて、やはり地元の人らしき話しぶりであった。
白滝と言うのは白滝の里という施設で、大川村の山の上にある。
太平洋も見える。
山に貼り付くように棚田がある。
あそこまでどうやって行くのだろう。
お弁当を食べてる3人組がいる。おいしいだろうなあ!
風車の羽は意外に大きい。
画面左に人が座っているので比べてみる。
風が強くて、風車も廻り放題。
それほど強く吸わなくても風が強いからがんがん肺に空気が入ってくるという感じで深呼吸をして、珈琲を飲んで、雲の動きを眺めた。
ものすごく気に入った。いいところだー。
さて下界へ戻るか。しかたなく。
来た道とまったく同じところを通るのがあまり好きでないため、←R32、梶が森→と書いてあるところで右折した。曲がる前にこれから走るだろう道をみて「大丈夫かな」とは思ったけど。
すぐにカーナビから道が消えた。
めざす梶が森は20キロくらい先だ。
道はほんとに狭いが、対向車がけっこうくる。うかうかすると後続車もついている。
すぐに譲る。生活および農作業のための道なのだ。
舗装はされているが、ぐわんと左が30センチくらい下がったりする。
この感じなんというか。そう、歩道。歩道を車で延々走っている感じ。歩道だけど向こうからまったく普通に車が来る。
これがあと1時間くらい続くかと思うと自分の腕では無理かもしれないし、何かあったら生活してる方々に迷惑をかけそうなので、必死でUターン。R32へ戻ろう。
ほっとしてここで初めて窓の外を見た。
いつのまにか、あの、山に貼り付くような棚田に来ていたのだった。さっき見たところとは違うが、この辺りの水田はほとんどが棚田だ。
あまりの美しさに息をのむ。
車が来ませんようにと祈りながら、しばらく眺めた。
そして、こういう道を通って帰った。
その2ふたつの黒潮ライン
これは道路の話なので車がないとだめなのだが。
こんどは海の高知を味わえるところへ。
高知県道14、23、47号線を行こう。
はじめの黒潮ラインは県道14号。
こんなふうに海ぎりぎり。
あの桂浜から須崎方面への道。これを黒潮ラインという。
交通量が多く、これ以上の写真は撮れなかった。
桂浜に行ったが浜へは下りずに素通り。
ここから海沿いを須崎へ。
県道14号線は黒潮ラインという、ほんとうに黒潮ぎりぎりを走るような道であった。
そして、走っていてたいへん気分のいい橋を渡って仁淀川を越えて県道23号線に入る。この仁淀川は四万十川より水質がよいとのことで最近注目を集めている清流である。たしかに最河口であっても水は青く、これが仁淀ブルーかと思った。
宇佐大橋を渡ってふたつめの黒潮ライン、横浪黒潮ラインに入る。県道47号線。
ここはリアス式海岸なので、道路は尾根を走る。道の横は断崖絶壁である。
ときおり地区の名前と→を書いた標識が立っている。矢印の示す方向に細い道が延びている。
その中に「伊勢海老の漁港」という看板とともに表示されている地区名があった。
おそらく道は狭いだろうが、その1に書いた狭い道の経験で妙な自信をもってしまい、「なんとかなるさ」と下りていってみた。ナビには道がでた。
地図ではここになる。
ものすごく狭い道をくねくねと下りていくとけっこうな集落があった。
伊勢海老料理をだす民宿や食堂もある。外で網を繕っている方が何人もいた。
街からはかなり遠い。こういう生活もあるのだ。
漁船がたくさん停泊している。
そして釣り人がここにもいた。よく来たなー。自分もだが。釣り船も出ているらしく、その乗り場もあった。
ふたたび崖の上の横浪黒潮ラインに戻り、さきほどの入り江をのぞむ。中央に見える突き出た小さな岬の向こう側がさっきの漁港だ。
黒潮ラインは終わりだが、さらに西へ進んで次は中ノ島まで行く。
ここ。
立派な農道をすぎて、名もなき道をゆく。もちろん1車線、ガードレールは途切れ途切れ。
山の中にぽつんぽつんと人家がある。
小さな山を越えると浜にでる。
バス停に人が立っていた。今から街へ出るのだろう。自分が運転してきた距離を考えるとそう遠くはない。それよりあの道をバスが走ることのほうが驚きだ。
中ノ島大橋を渡ろうと近づいていくと、前を路線バスが渡っているところだった。小型のではなく、普通の路線バスのサイズ。バスだけでなく、水揚げした魚を輸送するためのトレーラーも、ぶおーんと音をたてて冷蔵機能を働かせつつ待機中だった。あそこを通るのか。プロはすごい。
ここ野見は漁業がたいへんさかんなのだった。小さな小さな漁港なのだが、実力があるらしい。
中ノ島大橋。
そして中ノ島の漁港。
働く人たちの車にまぎれる横浜ナンバー。
桟橋にはやはり釣り人。
向こうをのぞいてみると、岩を猫が歩いていた。二重の意味でワイルドキャットだ。
集落はこの港に面したところに10軒ほど。商店はなかった。橋のかかっていない島が桟橋の向こうにあるが、そこには2軒の家があった。交通機関は船。おそらく自分で操縦するしかない。こういう生活もある。
橋を渡って戻りがてら、ちょっと離れたところから先ほどの港を見渡してみると、湾で何かの養殖をしているようだ。形を見て何なのかはわからないが、これがこの地区の実力の秘密なのかもしれない。
この写真を撮ったところ。ここを大型バスやトレーラーが走るのである。
その3吉野川と仁淀川
吉野川の最河口には徳島港がある。
ここから東京へ向けてフェリーがでている。
このフェリーには佐賀県警のお巡りさんとパトカーが乗っていた。たぶん福島へ行くのだろう。夏、いわき市へ行った時は京都府警がパトロールしていた。
角刈りで太い首のお巡りさん達。みんなでのんびりうどんを食べていたが、ひとたび船内で何かあったら指揮官の指令のもと、たちどころに警備体制を組みそうな感じだった。
後部座席にスチロール箱や大きな荷物を積んだパジェロミニを運転する若い女の子もいた。ひとり旅の熊本ナンバー。かっこいい。
杉かな、木材が船に積み込まれていた。
一気に30キロ進む。
うだつの町並みとして知られた美馬市脇町。
ここに潜水橋(沈下橋)がある
台風の後なので、川の水量が多い。
上流を見る。
この先に。さめうらさんが。
遡ればまず、こちら。池田ダム。
いつ見ても(3回目だ)落ち着いた感じがいい。
高速道路はいったん吉野川から離れてまっすぐ進み、愛媛県に入る。川に沿ってカーブしていくのは、R32と土讃線。土讃線はトンネルや洞門が多くなる。その合間に大歩危の景色が見える。車だと、ちょうどいいところに食事や休憩ができる施設がある。
そのひとつ、WestWestから眺める大歩危峡。左手の山の奥が祖谷。平家の落人伝説残る秘境である。
台風はまだ遠くだったが上流にはすでに多くの雨が降り、水は濁っている。
入場料が吉野川の環境保護に使われるというので、有料のデッキへ出たところ。
そのトイレにはこのような警告があった。
たしかにプールのように川面は滑らかだ。でも、ラフティングのボートは漕がなくてもすべるように流れてくる。乗ってる4人が必死に櫂を操っても方向がなかなか変わらず、岸に着くのがたいへんそうだった。相当速いんだ。
しばらく行って、大田口カフェ(ほんとうにすてきなお店ですよ。ぜひ。)をすぎて、大豊インター付近でR439に入る。酷道として知られているR439もここではまったく普通の2車線道路である。
林業と農業がさかんな嶺北地区に入る。
県道17号に入って切り通しを抜けるといきなり右手にどーん。この登場のしかたもいい。
さめうら湖にそって県道17号をゆく。
地区の名前と→の書いた看板が、分かれ道に立っている。その先は急な坂道。
早朝の道では猿が遊んでいた。
軽トラに犬と2人で乗って農作業に向かうと思われる方がいた。愛玩動物であり、山で共に生きるパートナーでもあるのだろう。
さめうら湖はほんとうに広い。
延々走って着くのが大橋ダム。
エメラルドグリーンの水。銅山が近いからか?
水中眼鏡をつけてわーわー言って遊んでる小学生男子たちがいた。
土木遺産の下で遊べる子供。豊かだ。吉野川と大橋ダムを存分に愛してくれ。ここで遊んだ、なんて日本中でいばれるぞ。
堤体にある、この灯りがすてき。
灯ったところを見てみたい。まわりには灯りが一切ないから、暗くなる前にここにたどり着いておく必要がある。そして、朝まで動けない。動ける自信がない。
そして県道40号に入る。入ってすぐのところにバス停と郵便局があるが、それを過ぎると、例の「大丈夫かな」という道になってくる。
夏に訪ねた時は、細い道なのに愛媛ナンバーのベンツが後ろからついてきていて、なおさら「大丈夫かな」と思った。その車はダムの手前の小さな墓地へ上がって車を停め、男性が2人お墓参りをしていた。
そして見えてくる。長沢ダム。
ここが揚水発電の下池なのだ。上池はあの大森川ダムだ。いつか行けるかなあ。
このプレートの文字も歴史や思いを感じさせる。作りあげた人たちがいるのだ、ここに、これを。
いつも思う。
吉野川の源流はもっと奥。石鎚山の南斜面だそうだ。長沢ダムのダム湖の奥。
吉野川にはまだたくさんの堰があるそうだ。歴史あるものも多い。今回は通り過ぎてしまったが、再訪してじっくり見たいものだ。
さて、さめうら湖の北側は県道17号で、南側はR439である。地蔵寺川というたいへんきれいな川を左手にみて、西へ走る。
峠を越えると、左手の川は上八川川になる。あんまりきれいなのでどこかに停めて写真をとろうと、バス停のあるところで停めてみた。奥が峠。進行方向ではなく、通り過ぎてきた方向を向いている。
バスは1日2本。
ここにしばらくいたが、ツーリングのバイクが2台、車が2台通っただけだった。
四国に3日もいると、これがわりと普通になってくる。
川はこんな感じ。吉野川が緑ならこっちは青だ。
これは仁淀川の支流。仁淀川エリアに入ったのだ。もっと西に行くと、かの四万十がある。
R194に入って南へ。仁淀川の支流を下る。
仁淀川とその支流にはたくさんの水力発電所がある。
この水は利用したくなるよね。素人な見方かもしれないが。
そして川沿いには高知でいちばん知られたラーメン店、自由軒がある。これは支店。自由って板垣さんから来ているのか?高知だけに。
県境を越え愛媛から食べに来る人も多いらしく、愛媛に帰るために右折して店を出るとき十分注意せよと大書された看板があった。海と山の要素が全部入ってるけどしつこくなく、飽きのこない味のように思った。
R194をずっと行くと仁淀川沿いに出る。道の駅がある。温泉があり宿泊もできる。ここにもラフティングの人がいて、冷えた身体を暖めていた。
風呂上がりにこんな景色が楽しめる。牛乳ではなく、文旦とトマトのジュースを飲みながら。
道路がなければ、なんて思わない。この道がわたしをここへ連れてきてくれたのだ。山を削り資材を運びアスファルトをひいた人がいる。そのおかげで来れたのだ。それを含めて、景色という。
その4脇町の町並みとデ・レーケ堰堤
100年前、オランダ人のデ・レーケさんが日本各地の河川の治水技術を指導した。
彼の指導のもと作られた堰堤は日本の各所に残っているそうだ。
そのうちのひとつが「うだつのあがる町並み」で知られる徳島県の脇町にある。
脇町はどれくらいうだつがあがっているかというと、
こんな感じにうだつ、うだつ、うだつ。見事に保存されている。
1階の屋根の上にある、隣家との仕切りのようになった小さな壁のような部分がうだつ。
町並みの保存地域には道の駅や駐車場があり、車で行っても時間を気にせず見て回れる。
夜には道の常夜灯に灯が入り、よい雰囲気なのだそうだ。
宿泊したホテル「ビジネスホテル稲田苑」の方が言っていた。夜になるとお店が閉まってしまうから寄るところがなくて、その意味ではつまらないかもしれません、とも言っていたが、わたしが行ったのは早朝のためやはりお店は開いていなかった。でも、歩くだけで楽しいところだと思った。
脇町観光にはぜひビジネスホテル稲田苑をご利用ください。部屋がていねいに掃除してあって、とても親切な応対で、かつ安い。いいところ。
ダブルうだつ。かっこいい。
町並みは500メートルくらい続く。
それを抜けて橋を渡るとショッピングセンターがあった。江戸時代から続くショッピングセンターではなく現代の建物であるが、街の景観に配慮した造りになっている。こういうの好きである。
ちゃんとうだつもあがっている。
そして、わたしがいちばん好きになったのはこの、ちっちゃいビル。
編み物の学校というのも、珍しい。
ホテルの近くでも編み物学校の古い看板をみかけた。
これもなかなか不思議な建物だ。中は空洞なのだろうか。
先ほど渡った橋は吉野川に流れ込む大谷川という川で、ここにデ・レーケ堰堤がある。
編み物学校から遡っていくと、こういう堰が何段階か続いている。おそらくこれら全部がデ・レーケ堰堤だろう。
近くで見るとアーチになっている。
20分ほど歩くとオランダと日本の国旗、そして風車があった。
風車を見つけたので近寄ろうと見回したら、さっきの橋まで戻ってまた同じ距離歩いて来なくてはならず、あえなく対岸から眺めて終了。
デ・レーケさん、100年後の日本は高速道路も造れるようになったんですよ。
技術者というのはどこの国であれ、自分の持てる技術で人の役に立てることが無上の喜びなのだろうと思う。
おまけ
脇町から10分くらい走ったところで見かけた鉄塔。送電鉄塔ではなく、電線が多すぎて電柱ではさばききれないから鉄塔にした感じ。複雑な電線、からまる蔓生植物。鉄塔自体も生きてるみたいだ。
その5「世界の」室戸ジオパーク
室戸へ車で向かっている途中、名阪の吹田SAで給油した。
大阪のおっちゃんという感じの明るい2人が担当してくれた。少し濡れている車体をみて「京都のあたり降っとったんか」と聞いたり、水抜き剤を入れる時期に来ているから「おっちゃんが今日は特別に1000円にしといたげるわ」と言ったり。出発前、カー用品店で同じものを200円で買えることを知っていたのだが、つい「わーそれはうれしいわー」などと言ってしまったのだった。
最後に「どこ行くん?」と聞くので、きたきたーと親指を立てんばかりの勢いで「室戸岬!!」と答えるとおっちゃん2人は「なにいいいい!ええなああああ!乗せてってやあああ。憧れの地やんかあああ。」と身悶えしながら叫んだ。
へへ、いいだろ。いや、ええやろ、か。
世界ジオパークの認定も受けたんやで、室戸。
E徳島から国道で室戸へ向かうと、最後の1時間近くはずっとこんな感じ。お遍路さん以外は歩いていない。
ジオパークの詳しいことは、ジオパークに行ってガイドさんに聞くといいですよ。だから書かない。正確には書くほどの知識がまだない。ちなみに、1週間くらい前に予約したほうがよい。1グループ900円。まだまだガイドさんの数が少なくて、やりくりがたいへんなのだそうだ。
この岩、縦縞だが、大昔は海底に生物の死骸が積もってできた岩だった。水中で積もっていくのだからその当時は横縞だった。プレートに押されて完全に縦になって、しかも海底から外に出てしまった。今年はあまりその力のことに触れてはいけない気がするが、地殻変動は圧倒的な力を見せつける。地面は不変ではないのである。
ご存知の通り今もプレートはこちらに押してきている。室戸の人はそのうち歩いてハワイへ行ける、と言っていた。
ジオのことを知れば知るほど、今回のことはまったく人ごとでないとお感じになるのだろう。ジオパークのガイドさんたちは、311以降のガイド料はすべて東北へ寄付しているそうだ。
ここは1000年前、弘法大師空海が修行をした洞窟。御蔵洞。
ある真言を100万回となえる荒行。1日中となえても2ヶ月くらいかかるらしい。もちろん修行の他に何もしない。唱え終わると記憶力がおそろしく向上するそうだ。
その当時は洞窟の入り口がすぐ海だったそうだ。今はちょっとした広場がありさらに国道がある。
ちょっと、押し寄せすぎではないだろうか。ここをまっすぐめがけてくるのか、プレートは。
日の出をこの洞窟の中から見ることができる。
洞窟の入り口はポケモンのピカチュウのかたち。
室戸は海底の隆起が何度も起こったため、台地になっている。
水はけがいいので野菜の栽培がさかんだ。
四国で見晴らしのよいところはたいがい山の頂上で、見渡すと切り立った山々であるが、室戸は違う。山をすぱんと切ったように平らになっている。
室戸スカイラインのいちばん高いところから、見る。
雲のかたまりが台地の上にのっかっている。
となりの台地には札所がある。金剛頂寺。
お寺までは大型バスも通りますから大丈夫と言われたが、ほんとに通るのかよというような狭隘路だった。お寺から下を見下ろしていると、ほんとうに大型バスが通った。狭くて急なカーブを切り返すことなく曲がり切っていった。プロだ。
お寺から眺めたところ。
いい天気。
お寺の駐車場には、貨車を改装したカフェがあった。なかで珈琲を飲んでいると、近所の人がお土産を持ってきたり、野良仕事の帰りのおじさんがきたり、お遍路さんが寺はどこだと聞きにきたりした。
さらに奥には国立の施設、室戸青少年の家があった。大学1年生くらいの若者がキャンプをしていた。
その駐車場から。
すこーん。という言葉が似合うような。
台地から下りるのに、来た道を戻るのが嫌なので農道を通った。栗がたくさん落ちていた。
ちょっと車で行くと、古い町並みが残る吉良川という地区。
細い路地まで入っていってくださいと看板が出ている。
なので、わざと迷子になってみたりした。
台風の直撃を受けるこのあたりならではの水切り壁。
こういった建物がたくさん残っている。
細い路。
なぜか胸にしみたT字路。
かわいい看板。
このパン屋さんもよい感じ。
室戸灯台は机の上の読書灯にしたいかたち。
電話ボックスも灯台だ。
さっきの洞窟の近くに小さな神社があった。きちんと掃除されていた。階段がとにかく急で、壁みたいだった。
本殿のいちばん奥の梅。
海も地面も、人間にできることはほんとうに小さい。神様がいても不思議じゃない。
初めて見た早明浦ダム
惚れました。
一生ついていきます。と言いたくなった。
早明浦ダム。
さめうらに来た記念が一つでも多く欲しくて道の駅さめうらでさめうら漬を買ってしまった。