土佐にっき2011夏
2011年7月の旅行記録です。
2020年8月、一部改編して再掲しました。
内容は2011年当時を反映しています。
鉄道で行くところを歩いて行ってみようとすなり。
山の中のスイッチバックが印象的だった、土讃線新改駅。
ここで20分停車したとき駅の周りをウロウロしてみたら、駅前に県道があった。
地図で見ると、山の下の町につながっている。
歩きたいと思った。
だから歩いてきた。
大歩危駅
岡山から大歩危までは特急。
大歩危で20分の待ち合わせがあったので、駅からでてみた。
大きな荷物を背負ったフランス人カップルや一人旅の若い男性がいた。
駅前の平地はわずかで、すぐ急な斜面になり、そこに家が建っている。
完全に空中に建っている建物もある。
あの建物の床が水平なのだからどれほど急斜面かわかる。
用水路を、山の水が勢いよく流れ落ちてきていてすごく涼しい。
山の中なら涼しいんじゃないかな。と、このときは思っていた。
各駅停車が1両でやってきた。
中には数人の登山客。
全員60代くらいのご婦人で、全員靴を脱いで椅子に座っていた。
新改駅の直前、中途半端なところで停車すると、ご婦人方が急に色めき立った。
「今日は坪尻駅をとばしたから、もうスイッチバックはないと思ってた!わあ!」とたいへんお喜びだった。
新改駅では20分停車する。
順番にトイレタイム。
水洗ではない方式である上、水道もない。外のバケツに水が貯めてあって、それで手を洗うことになっていた。
「スイッチバックといい、こんな山の中の無人駅といい、さらにこのトイレ。いい旅になったわー」と楽しそうな方にきいてみると、これから四国カルストを歩くとのことだった。
ここで降りて次の駅まで歩こうと思って、とこちらが言うと「まあ!それも楽しそうね!」と歩くのが好きな方はわかってくださった。
新改駅
新改駅はこんな感じ。乗客はのんびりと散策中。
引込線なので、撮影者の背中側10メートルのところで線路は終わっている。
画面奥の本線を列車が駆け抜けて行く。
白い帽子と首に巻く青いタオルが期せずして列車とおそろいの色使い。
この冷え冷えタオル、見た目は変だがなかったら倒れてた。
ワンマン運転が多いので、バックミラーは必須なのだ。
上りの特急を見送って、列車は出発した。
ドアが閉まってから、運転手さんがほんとに降りるのか確認してきた。
先ほどのご婦人方と手を振りあってお別れ。
さよーならー。
さて、行くか。
掃除道具がたくさんあって、駅もトイレもきれいだった。
下から水を運んで掃除をしているらしい。
駅前通り。
こんな感じの道を下って行く。
駅はかなり高いところにある。
右の坂から下りてきた。
湖があって、橋を渡るとコミュニティーセンター、小さな商店、小学校、陶芸の工房などがあり、まとまった集落だった。だから駅は必要なのだ。
休場ダム
もうちょっと歩くと、休場ダムがある。
ここで貯められた水は下流の発電所へ送られる。
堤体に架かる橋からの眺め。
ザ・山間部といった味わい。
暑くなければもうちょっと眺めていたいが、日陰に入らないと危険だ。
山が切り立っていて杉の樹も高く伸びているので、日陰は涼しいとはいえないまでも暑さは和らぐ。
水田が続く。道はずっと下り。
車がすっと横に停まり、運転しているおじさんが、どこまで行くのか、乗らないかと聞いてくださった。親切な方だ。うれしいが、ていねいにお断りする。
30分くらい歩いたか。
見えてきた。
新改発電所
斜面にあるためか施設がむき出しな感じだ。よく見える。
新改発電所。
左をみても右を見ても
ずらり。
四国電力のプレートはひかえめ。
草木の生い茂り方がこわいくらい。
こんなかたもおでまし。
鉄管の近くまで行ってみると、水が勢いよく流れて出ていた。水はこのまま川を経て海へ行くのではなく、複雑に入り組んだ用水路に入り田んぼを潤す貴重な水となる。
迫力ありますね。
ここに来るまでに水分1リットルは摂った。
発電所内の自販機で補給して出発。
国分寺へ
駅であった方には次の駅までと言ったがほんとうはもう少し先まで行く。
ここからが辛かった。
なにせさえぎるもののない道を真夏の真っ昼間(12時)に歩くのだ。
でも汗がたくさん出る以外はいつもの歩きと同じで、やっぱり楽しい。
道の横には用水路。
すごいところに停めてるね。
地図でいうと、下へ下りてきて右へ行くと土佐山田。
でも左(つまり西)に行く。
別の県道に入ったが、米どころだけあって、見事な平野。
イネは夏には毎日こんな日差しの中でじっとしてんのか。
すごいな。根元はさっきの水で潤っているが、頭からの日差しがきびしい。
帽子もかぶらず、逃げることもしない。コメを見る目が変わった。
ほんとに暑い。
喉が渇いたと思う前に、水分を摂る。
まっすぐ行って、小学校の前で左に曲がることになっているのだが、全然小学校に近づく感じがしない。地図見て、まだここなのかと何度も思った。でも焦らず淡々と小さい歩幅で歩いた。そのほうが疲れない。
すいかがまるごとではなく切り身で売ってたらここで食べようと思って棚を見たが、カボチャしかなかった。
休憩の回数が増える。水分を補給する。日焼けどめを塗り直す。
やっと左折して、しばらく川沿いを歩いて史跡に到着。自転車の中学生が大きな声で挨拶してくれた。
今は礎石しか残っていないこの寺があった頃、近くには都から赴任した紀貫之が住んでいた。任期が終わり京へ戻りがてら書いたのが「土佐日記」。日本初の紀行文学。旅ブログの元祖だ。
そして、ふとバス停を見ると駅に向かうバスが来そうだったのでもうそれに乗って駅へ行っちゃおうかと思ったがせっかくここまできたからと脳内押し問答をした後ちょっと歩いて着いたのがここ。29番札所、国分寺。
風がよく通って涼しいので、参道のベンチで休んだ。
新改駅を出発してから5時間後のことであった。12キロくらい歩いた。
この辺りの地形を足で感じ取った。山の水がおりてきて電気をおこし、イネを育てる。
すぐ近くに喫茶店があったので、ケーキセットを食べた。
これは別のところでもあったのだけど、最後にほうじ茶を出してくれた。冷房とアイスコーヒーで冷えた身体にはとてもよかった。あれだけ暑いところにいても冷房とアイスコーヒーで一気に冷えた。電気の力は偉大だ。
このあと、さらに3キロほど歩いて後免というところまで行ったが、疲れて余裕がなかったためこのタニシの写真しか撮っていなかった。
このタニシはウズラの卵くらいある。たくさんいて、みんなけっこうなスピードで水田の中をうろついていた。
歩いたら楽しいところはまだまだありそうだ。