37号から農地を過ぎて48号へ
市街地に入って、突如現れる白壁。三会寺。庚申塚チェック。
庚申塚はなかったが、本堂から鉄塔が見えた。
近づいて、新ー大37号。
次は、あれ。山の上。37のいち、かもしれないし、38号かもしれない。
このあたりは小机というところで、昔は城があった。城は天然の要塞の上に造られることが多い。山の上だ。鉄塔はこの山を越え、横浜中部へ。横浜の大きな川は3本あって、その2まではいちばん北の鶴見川エリアだった。次回、山を越えたらまんなかの帷子川エリアへ入る。いちばん南は大岡川。
鉄道でいうと、相鉄線。各鉄道は谷を走っている。山をぶちぬいて走るのは、新幹線と貨物線だ。
見えてきた。
ふもとに参道っぽいものがある。
近づいてみる。いるいる。
4体いた。いちばん右は庚申塚ではないようだ。みんな違う。邪鬼を踏んでたり、脇侍(横にいる手下みたいの)がいたり。
怖い話してやろうか?
わー、やめてー。
遊んでみました。
ここは八幡宮。この辺りの鎮守。境内からみると、鳥居の向こうは切り取られた別世界のように見える。本殿横の階段を上る。
で、やってきました、38号
今日は雲の様子もいろいろだ。
はやくも下って、畑の中の39号。送電線を曲げるための碍子がぶら下がってなくて、下から支えてる。
次までが意外と長い。
送電線は大きなスーパーの駐車場の上を越えていくが、その駐車場には地元農家の野菜を売る小さな店が出ていた。寛大なスーパーだ。それとも地元が強いのか。小さな店からは焼き芋のいいにおいがした。
そして40号。みかん、おいしそうだなーと思っているとかいないとか。
次は畑の中にあり、近づけるかどうか。鉄塔のある畑の周りの細い道を下りていく。
みあげるとそこにいるんだが。
畑に通じる道を発見。上る。畝の間をぬけて、41号に到達。
この畑のすみに、小さな祠があった。ここらはやたら八幡さまかお稲荷さんがいる。ほんとによくいる。農作物の出来はすべて気候に左右される。いいときに雨が降り、でも降りすぎず、暑すぎず、寒すぎず。祈るしかないもの。
この取り合わせはめずらしいと思う。どちらのご商売から先に始めたのだろうか。fish&cigarette.
またあった。
次はもっと畑の中。
これは無理かと思ったら、近づくルート発見。祠を見ながら進むと、かなり近くまでいけた。畑で作業する方がいるんだから、道はあるに決まってる。新ー大42号。
伸び上がって第三京浜を越えてる、新ー大43号。
ちょっと勢いで伸びすぎちゃったかなって感じがまたいい。梅が咲いている
人間は下を行く。今日はいろいろくぐる日でもあった。
伸び上がってこっちを見ている43号に見守られながら次へ。ぎゃーぎゃーとなくオナガがいる。あるお宅の庭にたくさんいた。柿かなにかを鳥のために木に生ったままにしてあるらしい。
43&44号。写真だとすごく遠くに感じるが、目で見るとそうでもない。
坂を下りて、あら、いました。中の木ぎれには人形を持ち込むなと書いてあった。庚申塚は人形供養とは全く関係ない。
バス通りにでて、新ー大45号。左下に黒い雲。このあと曇ってくる。
地図の道が少なくなった。これはあれだ、畑だ。菅田・羽沢農業専用地に入る。
その中の新ー大46号。少し高くなっている。その台座の土にもきっちりなにかを植えてある。ファーマー魂を感じた。
46号を背にして振り返る。通り過ぎてきた鉄塔たち。
吹きっさらしの、新ー大47号。次の鉄塔もまる見え。(小さいけど)
まっすぐな道を歩いていく。次の48号の下には農作業の方がおられた。ご夫婦と思われるのだが、双方主張するばかりで譲歩することのない会話をずっとなさっており、近づけたもんじゃない。望遠で。
庚申塚と出羽三山供養塔
農業専用地を抜けた。すると、あった。左は初めて見た、聖観音の庚申塚。開いてない花を持ってたら聖観音なのであります(たしか)。猿もいない。でも石には庚申供養と彫ってある。
ついさっきまで焚いていたのだろう、線香の香りが祠の中に漂っていた。
羽沢小学校卒業生によると、出羽三山の供養塔は市内に3体あるそうだ。
実は鉄塔を追いかけていて、他の2体をすでに見ていたのだった。ひとつは保土ヶ谷線で子安変電所まで行った時、もうひとつはこの新ー大線の初めの方で。前者は写真に撮っていたが、後者はふーんどこかでも見たなと思っただけで、撮っていなかった。いずれも庚申塚のとなりにあった。
通りすがりの人の道中の無事を祈るというのは、「お互いさま」の発想かな。
49号から坂を上り下りして55号へ
足元には椿。新ー大49号。次は山の上だ。人は谷へいったん下りなければならない。人が鳥に憧れるのはこんな時だ。
そんなこんなで、住宅地の急坂を上って新ー大50号。家に囲まれていた。
新ー大51号はどこからも近づけず、この1枚だけ。
ありそうなお寺があって、やっぱりいた。元禄のものだから300年くらい前。仏と猿の間にあったものが落ちてしまっている。この辺りはとても信心深い土地柄のようだ。
新ー大53号は、草取りかなにかの作業中だった。これも遠くから。
次はまた向かいの山にある。上ったと思ったら下る。今日何回目だ?
どうやら鉄塔のあるところとは別の坂を上ってしまったらしく、鉄塔はなくつきあたりになにかある。水道の設備らしい。高いところにあるから、給水に関連してると思う。でも汲み上げるポンプのような音はしない。
横につながってないかと思ったがつながってなくて、いったん下ってまた上った。
そして新ー大53号。坂の途中にある。近寄ってみて見ると、網タイツみたいと思ってしまった。
このオシャレ感である。枕木の古いのとかではなく特別につくられた木の柵、そして防犯のためではなく景観のための街灯。鉄塔自身は照れてると思う。
次はあないに遠くにおますねん。がんばりまひょ。
階段を下る。ひとんちのような狭い道を上る。
そして、畑と坂と鉄塔。新ー大55号。アップでもどうぞ。
キャベツの。
だいぶハアハアして上ったらそこは見晴し台という、そのままの地名がついていた。
なにが見晴らせるかって?
これですー。
新幹線!
56号から72号
かなり長い坂を下って、さらに階段を下ったところに、山の上の新ー大56号。
山のふもとは地元自治会による植物園となっていて、開いてれば入れたらしい。
でも、閉まってた。残念だ。鉄塔にも近寄れたのにな
皇帝ダリアの表示は、ここに咲いてますよ、というお知らせなのだ。
ここでもあたらしい一戸建ての建設中だった。工事の様子をとなりの古くから住んでるおじいさんが、興味津々で見ていた。楽しそうだった。ショベルカーで地面掘ってたら見るよね。それも自分ちのとなりでやってるんだもの。そのおじいさんの家は広い平屋でアプローチが長くバラの垣根のあるような、相当昔に建てた、その当時は相当モダンだったろうと思われる家だった。お庭もきれいにしてあって、趣味が広く、好奇心のある人なんだろうなと思った。なにかを楽しそうに見てる人、いいよね。
さらに下っていく。川が流れるいちばん低いところまで行くから。
S字にカーブする下り坂をショートカットする階段。もちろんこちらを通る。またお稲荷さんだ。
ホンモノ….じゃないよね、と20秒くらい凝視した。
R16を渡ると帷子川。見晴し台からここまでがいちばん標高差があるだろう。
橋を渡り、相鉄線をくぐる。ネクスト鉄塔が見えている。ちょっと形が違うんだ。遠くから見てもわかってた。でもこの写真からはわからない。
でっぱりがひとつ多いのだ。碍子もついていないのに。なんだろうなあ。バランスをとっているのだろうか。新ー大57号。
すぐ近くに58号。イヤリング型(勝手に命名)は久しぶりじゃないか。真ん中に何かぶら下がっている。ペットボトルに何か入れてある。なんだろう。
この鉄塔は横から見ると印象が違う。どっしりしている。
次の59号は墓地の中に。そばにあるお稲荷さんは扉が壊れていた。お墓の横のベンチで休んだ。休んでいると、新幹線の通過音がする。さっき見おろした新幹線とほぼ同じ高さまで下りてきた。
60号は家に囲まれていた。明らかに家のほうが新参者なんだが、鉄塔のほうがすみませんと言いたげだ。
新しい住宅が建っているかと思えば、このような日本情緒ある古い家もある。書道と茶道の教室がこの家で開かれているようだ。古い表札をつけたままの家もある。この形の表札好きだな。この番地は玄関扉横の新しい表札とは全く違う、今は存在しない番地なのだった。
少し晴れてきた。61号。
少し行くとバス通りに出た。階段から見おろすと、新幹線のガードだった。
62号は小学校の中に。鉄塔の文字は1年生には読めないが、6年生なら読めるだろう。
次は新幹線の向こうにある。鉄塔近くの住宅はJR東海の社宅だった。家に帰っても新幹線が見えるんだ。そこがこの社宅を選んだ理由だろう。みんな好きな物の側に住みたいはずだ。
新幹線の下をくぐると、鉄塔は畑の中に柵なしで立っていた。2本は新幹線をはさんで対峙している。
次はクロスしている。市沢線39だった。新ー大64号のまわりは木が切られていて、見やすくなっていた。ベランダのような物がついている。
また別の団地が見えてきた。左近山という大規模な団地である。
65号はスポーツセンターの向かいにあった。センターの駐車場はいっぱいだった。みんな身体を鍛えてるなあ。
ここの名物は鉄塔だけではない。
安すぎる自動販売機とオープンなマーケットである。
団地の中の66号。植物と鉄塔の組み合わせが好きなので、こういう構図が多いな。
団地の中、67号。
さて、次は保土ヶ谷バイパス横の68号。バイパスから見ると全くの山の中だったので、近づけないだろうなと思っていた。
が、こんなところが通れるようになっていて、
近づけたのだった。
くぐります。
住宅街ではなく、畑でもなく、資材置き場や竹林になった。団地とは対照的にひと気があまりない。
ここまでの地図しか持ってきていないので、ここからは送電線を追いかけていくしかない。最近はというと、地図はあってもあまり見なくなった。何となく、道がどうなってるかカンで判断できてる気がする。
送電線の伝う方向をめざしたら山の中の畑にいた。新ー大69号(だろう)。
ここには全く道がなく、近づくことはできなかった。山を迂回する。山は意外に大きく、電線からかなり離れたが電線の方向に従って歩いていたらちょうど反対側に出た。反対側は霊園だった。
木を刈り込んで作った大仏。ワニには、やあと言われた。他にもペンギンやら帆掛け船やら作品がたくさん並んでいた。
このあたりは山が大きくて、鉄塔の先しか見えない。まだ山が宅地のために削られてないということだろう。ひと気は少なくなり、道も細くなった。四国に行ったとき、ナビの言うとおりに走っていたらどんどん道が狭くなって、車も少なくなってほんとに着くのか?と思った頃に目的地に着いたが、その時に似てきた。
釣り堀があった。8時間3000円と書いてあった。料金があるということは8時間釣る人がいるってことか。すごい根気だな。
送電線をたどり坂をのぼると、黄色いのぼりがあった。送電線注意の、のぼり、ひらひら。力が抜けた。のぼりの側には新ー大70号。
次の鉄塔の側にも黄色いものがひらひらしてる。鉄塔下は大胆に削ってて、下からアプローチできないだろう。関東ローム層がきれいな縞になってる。隣も何かの施設で部外者は入れそうにない。また迂回だな。
実際行ってみると介護施設だった(何となくそうだろうなとは思ってた)ので、学校1つぶんくらい迂回して、やっと上がっていけそうな坂を見つけた。そして、まあまあの接近。新ー大71号。プレートは未確認だが。
実は迂回中に72号を先にみつけていたのだった。
こんなものもあった。地下の送電線がこの下にあるようだ。京換という系統は、南横浜火力発電所近くで見た。
トタンのパッチワーク。こんな柄のトートバックがあったらな。
ゴルフ場に73から81号までがある
さて、次は「最も見えなかったで賞」だ。
ここは横浜カントリークラブ、戸塚カントリークラブという大規模なゴルフ場のいちばん端っこなのだ。73号はカントリークラブの中にある。
カントリークラブの向かいはなにかの作業場で、機械音の合間に聞こえてくる話し声は日本語ではなかった。クラブの中では令嬢という風格の女性がゴルフしてた。
クラブの中には73から81号までがある。9本もあるということで、いかに広いかよくわかる。
最寄りの駅を電子の地図で探しているうちに、汗が冷たくなり身体が冷えてきた。後頭部に薄紙のような頭痛のもとができ始めた。薄いうちなら、身体を温めれば本格的な頭痛にならずに済むこともある。これが厚みを増して発生場所からどろりと動き出したらもうだめだ。それが両目の奥に移動したら完璧にだめだ。やばい。
最寄り駅は東戸塚。でも、行けども行けどもゴルフ場。
すごい広さ。そして、カラスの多さ。
やっとやっと、近くまで来た。
本牧線を追いかけて戸塚変電所まで行ったときに通った、貨物線のトンネルまで来た。
今日は跨線橋を渡ってみる。
こないだも待ったけど来なかったもんな。時刻表は来月のダイヤ改正版だから、来月にならないと来ないし、いまだに時刻はわからない。でも線路脇のバツ印したなにかが点灯してる。でもでもそうは都合よく来ないだろ、と立ち去ろうとしたその時、トンネルがゴーッと音を立てた。
来た!びっくりして撮れたのはこれだけ。
貨物線っていい!今度は脚立積んで、羽沢へ行こう。15:30ごろ羽沢を通るはず。でも脚立持ってない。
駅近くには牛がいた。
そして見つけた看板。あの牛さんがつくってくれたんだ。ホットミルクがあるかもしれない、と思って入った。みごとにアイスだけだった。お手洗いを借りた以上、何か買わなければ。ごまのソフトにした。
ゴールはまだ先、次ページへ。