鉄塔ハイキング6
南横浜火力線についていく
2010年12月〜2011年1月に歩いた記録を、2020年8月、一部改変して再掲しました。
南横浜火力発電所は海に面した埋め立て地にあるが、そこからいきなり鉄塔で送電されているのではない。
戸塚変電所でみつけた南横浜火力線50を発電所方面へたどっていくと、
富岡変電所に行き着くようだ。
そこから先に鉄塔はない。
では、ここが南横浜火力線のスタートだろう。
電車に乗って、まず富岡変電所へ行ってみよう。
駅から少し歩く。
例によって、好みの、狭い&きつい&(階段の数が)多い道を選ぶ。
階段の写真もだいぶたまった。
富岡変電所から出発
線路際の狭い道を下りていくと、変電所。
やはり思った通り、南横浜火力線だった。
でも、2と3なんだよな。いちばん始めをみてみたい。
変電所のまわりをめぐってみる。
なんか札が付いてないか。
ズームしてみる。
やった。みつけた。1ばん。
さて、次行こう。
跨線橋を渡って、坂を上る。
梅林という風雅な名前の地区。大きなお家。
南横浜火力線4と5。
碍子いろいろ
ここで気付いたのだが。
なんだかごしゃごしゃしてないか。ブラシ状というか。
碍子がいままで見たのより長いのだ。2連になっている。
実はこの日見た24までずっとそうだった。
碍子を増やすのは張力を保つためのようなので、南横浜火力線はどうやら電線がいままでのよりも太い、つまり送電量が多いのではないか。
発電所からじきじきに来てるわけだし、電圧を高くして送電容量を増やしていてもおかしくはないと思う。
ちなみに本牧線は、1連だ。
公園のすてきな木。これが見られるなら冬も悪くない。左の木には何かの巣がある。
山の上の南横浜火力線6。
そして次は初登場の赤白だ。
パーツをアップで。
このあたりからずっと、◯◯台と名の付く団地が続く。その名のとおりここは台地だ。
団地とバイパスをみおろしている、南横浜火力線8。
杉田台という団地の端っこに位置する。
碍子の付き方が三者三様。
中国ラーメンを通り過ぎてすぐ、南横浜火力線9。
碍子は縦と横が垂直になっている。
手前の木が鉄塔の真似しようとしてるみたいに見える。
まるで本物がそこにあるみたいな木の影。
影って「写しとるもの」なんだなあ。
舞台装置みたいだ。
団地内通り抜け禁止と厳しく書いてあっておいそれと近づけぬ雰囲気だった、南横浜火力線10。横に伸びた支柱の真ん中に碍子がついている。
階段を上って、上って次へ。
支柱の端に碍子が付いているので、下から見るとこんな具合。
三者三様。
ちょっと寄り道。この辺りは栗木という地区。マロンパーキングという駐車場があった。
栗木神社は正月の準備万端であった。
お仕事は?庭師です。
どこにお勤め?庭師です。
庭師という名の造園業者。かっこいい。
神社を見たあとだからか、これも神社の参道に見えるよ。
南横浜火力線12。碍子は斜めについている。また違うパターンだ。
土台が白い
どうしちゃったんでしょう。ここはエーゲ海ですか。
なぜか土台が真っ白な、南横浜火力線13。
碍子は支柱の端から縦にぶら下がってる。揺れるピアスのようだ。またまた違うパターン。
こども科学館の裏の公園で木々に囲まれていた、南横浜火力線14。
ドングリから芽がでていた。
いろんな取り合わせ。トンネルと。竹林と。15、16を続けて。
港南変電所に到着
ちょっと形の違う鉄塔があるとそこは変電所。
港南台変電所に着いた。
団地の中をゆく
南横浜火力線18、19、20、21、22は団地の中。
花壇のそばだったり、公園のそばだったり。
20と21は重なっているこの1枚しか撮っていなかった。
22は撮り忘れた。
同じ字が集まっているとおもしろくなる。
こちらはさまざまな字が集まっている。
甲と乙
23から2つに分かれて、24甲と24乙になっていた。
手前の同じ形の2つが甲と乙。
横から違う系統が来ているので鉄塔を低くする必要があり、高さを抑えるために低いタイプを2つ並べたようだ。
ほとんどの鉄塔は見上げるものだったが、この甲乙2人組は5メートルくらいしかない。碍子も見放題だ。
ピクサーのアニメにこういうのいなかった?
電線で手足をつけたら、くねくね踊るキャラクターかなんかで使ってもらえそうな。
横から来た別系統は、送電線が2本組み、4本組みになった大容量の送電線だった。実物を見たのは初めてだったのでうれしくなり、追いかけてみようと帰ってから調べたら横須賀火力発電所から来ている系統らしかった。しかし横須賀火力発電所は今年の4月からすべてのタービンが長期停止となっていた…。おそらくあの電線には電気は来ていない。
今日はここまで。生パスタというものを食べ、公園の猫にあいさつしてから電車で帰ってきた。下りた駅とは違う駅から違う会社の電車に乗って。
港南台駅にて。
寄ってかない?
また今度ね。
港南台で下りて、南横浜火力線25へ。
ここはJRの港南台変電所であった。
あたまの上が赤い。
右はJR港南台線5
逆光がつらい。
実はこの日、プリントアウトした地図を持ってくるのを忘れた。
ほんとうに鉄塔についていくしかないのだ。
家がすごく高いところに建っている。
たくさん買い物した日はたいへんそうだ。
その向こうに鉄塔が見えた。
鉄塔は高い家よりさらに高いところにある。南横浜火力線26。
いったん坂を下りてまた上って、27。
碍子が複雑なつきかたをしている。
雲がぽやぽやでてきた。
古くからある住宅地とみえて、ゆったりしている。
立派なお庭と鉄塔。
神殿みたいだ
南横浜火力線29のこの神殿感はなに。白い服を来た女性があの階段を上って貢ぎ物をお供えしそう。
さりげなく置いてある古い浴槽がアクセントだ。おそらく雨水をためているのだろう。足元に広がる畑のために。
聞こえてくるのはゲートボールの甲高いカーンという音。すべてが現実。
支柱にある丸い部分が太陽を反射していた。
プレートが鉄塔ではなく、外の柵にかけられていた。
次の南横浜火力線31は新興住宅地の中にあった。ここの家も切り立ってるなあ。これから家が建つ土台が広がっていた。
ここも宅地になるみたい。この畑もなくなる日は近いのかな。
南横浜火力線32は造園会社のショールームの中にあった。柵がないとすごく身近に感じる。いろいろな植物に囲まれてにぎやかだ。湧き水があるが、絶対に飲んではいけないと書いてある。
坂を上ると、32から27まで一望できた。
右下の赤い幟はお稲荷さん。小さな境内には、崩れてしまって顔のわからない石仏もおられた。
栄第一水再生線1
南横浜火力線33は分岐していた。両側に栄第一水再生線1を繋いでいる。ここから6回線になった。これは想像だけど、下の2回線は南横浜火力発電所からきているのではなく、戸塚変電所から折り返してきているのではないだろうか。両側が1ということは、ここから送電が始まっているのだと思う。
赤白の華やかさ
さて次は赤白ですよ。
鉄骨のつなぎ目を撮ったつもりだったが、改めて見ると日章旗みたいに見える。
赤白は華やかでいい。
でも、まわりは行き止まりになっていて、そこには路上駐車やら不法投棄があった。
ひと気のない細い道を行く。突如みかん畑。その中に35がいた。
お地蔵さんにも、みかんをお供えしてある。とても大切にされているお地蔵さんだ。
36と37はとても近いが、形が違う。
36-37の順と、37-36の順に並べてみた。
正安寺というお寺の山門と36。かわいい街灯と37。
38は工場の中。眺めながら橋を渡る。川を見ると、サギを付け狙うかのように大きな鯉が泳いでいた。
工場かと思ったら、ここが栄水再生センターだった。
送電線の分岐
39から分岐していた。左下の飛び出ているところが、新たな系統へつながっているところ。
分岐した先がすぐそこに見えるのに、プレートの文字が消えていて何線かわからなかった。川の向こうに行ってるんだけど、何線だっただろう。
40に行く途中にあった、ピンポイント畑。
そりゃもう大騒ぎだったよね、今年のあれ。でもまだ、貼ってるんだ…。
40は急坂の途中、家に囲まれていた。
41は高いところにあるので、まわりを囲む柵がない。プレートをかけるだけのために柵があるかのようだった。
生産農地の中に42。横浜市は意外と農業が盛んである。
山を越える送電線についていくと公園に出た
43は山の上。44は山の向こう。つまり、山越え。道あるのかなあ。なかったら迂回しなければならない。よかった、尾根道への看板がでていた。これを上れば越えられそうだ。
で、足元に来ました。尾根道は落ち葉が積もっていて、舗装した小道があるようだが、完全にかくれてしまっていた。次はせせらぎ谷のほうへ。なかなかいい感じの散歩道であった。
下りてみると、ここは戸塚公園であることがわかった。公園の地図にも鉄塔と書いてあった。よかったね、鉄塔。
44は柵内への入り口が引き戸になっていた。
信号待ちの間に45を撮った。
近くのお宅から伸びる植物。先のほうに一枚だけ葉っぱがついていた。
国道1号線を越える
送電線のつながりからすると、こっちだ。馬頭観音の横の階段を上がると、国道1号だった。渡れない。向かいに見えるのが次の46だ。地図のプリントアウトを忘れたというのにどうすりゃいいんだ。困った時の衛星だのみ。スマートフォン様にたのんで衛星さんと連絡をとってもらったら、あっさりR1をくぐる経路を発見できた。
そして、発見。庚申塚が6基並んでいた。ほぼ同時期に作られたらしく、同じ形式だった。元禄というと300年前だ。よく残ったな。上に月と太陽らしき天体、邪鬼をふんでる仏様、両脇ににわとり、いちばん下に三猿。典型的な庚申塚だ。この辺のいちばん古い住人だ。
これをくぐって向こうに行くのだ。部活帰りの中学生男子がだべりながら通路いっぱいに広がってだらだら歩いていた。ガード下っぽい風景。
R1に向かってPRの仕事をしている看板を後ろから。仕事をしている背中っていいですよね。人も看板も。
さて、46は「高所でプレート部分のみ柵あり」形式だった。
次に向かうため坂を下りていったところに、八百屋さんがでていた。プーさんとミニーさんが店番をしている。とってもかわいい。青いセーターの店主は犬の散歩中のおじさんと山芋について語り合っていた。
戸塚変電所に到着
47は別の系統と並んで立っていた。鉄塔が集まり始めた。変電所が近いということだ。
48は山の上。この山は越えられないので迂回する。またR1沿いを歩く。R1といえば箱根駅伝だ。毎年大晦日近くになると、中継のリハーサルなのか、ヘリコプターが飛んできて権太坂付近の空中でしばらく浮かんだままで止まっている。
49、50、51は戸塚変電所の中にあった。51の形は他とちょっと違う。見上げるように撮ったのは変電所の塀で足元が見えないからだ。
52から外に出る。手前が53で、奥が52。ちょっとわかりにくいが、どちらの鉄塔も、番号が若い鉄塔からの送電線の他に、変電所内の設備と直接つながっている送電線をもっている。
カラスが遊んでいた。写真を撮ろうとすると鉄塔から離れる。視線を感じるのだろうか。
たてよこななめに、碍子。
今日はここまで。
まだまだ続くよ。続きはまた。
おまけ
ポイ捨ては、捨てられたタバコが「ポイー」と鳴くからポイ捨てって言うんだな。タバコの声を鳴き声。かわいい。
この日は13km歩いた。
南横浜火力線ここまでのまとめ。
緑の線に沿って鉄塔が立ってます。
戸塚変電所を出発
2011年、第一弾。
南横浜火力線についていこう。
とうとう最後まで行き着くことができた。
最後は京浜変電所だった。
まずバスで戸塚駅へ。
そこから戸塚変電所へ向かう。
その途中でみたもの。
凸凹という字は文字というよりも絵だ。
庚申塚を発見。通りに面している。ほとんど溶けていて形が不鮮明だったが、下のほうのかたまりが確かに三猿だ。
前回見た南横浜火力線53を過ぎて、54へ。
その前に、変電所から出る別の系統が何線なのかを確認しにいった。大和線だった。
中学校を左手に道を行く。ブラバンの練習と野球部のかけ声が聞こえてきた。
急な坂をみつけて下りていく。左のブロックに対する角度を見よ。でも道が違っていて、竹やぶには行けても鉄塔には近づけなかった。そのため、さきほどの急坂を上って戻るはめになった。
南横浜火力線54。ここから始める。
南横浜火力線55。錆がしぶい。この後しばらく使い込まれた感じのしぶい鉄塔が続く。きわめつけは、赤の色がぬけてオレンジに近くなってしまった赤白だ。3本後に出てくる。
看板などで強調のため赤い字を使うとまず始めに赤がぬけていくが、これが鉄塔になるとどうなるでしょう。
南横浜火力線56はラーメン屋さんを見下ろしていた。
次の57の間の電線は谷を渡る。道路は尾根にあるので、空中の電線が視線の位置に近くなる。チラッと見えてる、例のうす赤白。
57のあたりで、わたしと同じようにプリントアウトした地図を持った人に道を聞かれた。お互いの地図をつきあわせた結果、その人は目的地のまったく反対方向に来ていることが判明した。
坂を下っていくと、南横浜火力線58だ。その色を見て、こういうのもありかー、と思いながら近づいていった。
ここは他の系統とクロスしている。いわばジャンクションか。
3本右から左に並んでいるが、手前の2本はそれぞれ別の系統で、画面の右から左に電線が渡っている。いちばん奥はうす赤白の南横浜火力線58につながる、59である。電線は手前から奥へ渡っている。
手前の2系統のうち、奥側(写真では真ん中)は香川線だった。
では手前は?プレートを確認したくても遠いためか、字が見えない。地図によると近くに次の鉄塔があり、そこには近づけそうなので行ってみた。
しかし次も生け垣に阻まれ、プレートが見えない。
もうひとつ先へ行ってみると、突然神社があった。中には小さなお社がいくつもあって、さまざまな願いをかなえてくれそうな実力派神社のようだ。その中のお社のひとつを見て、狐じゃなくて猫?と思ったらほんものだった。日なたぼっこしてた。
観賞用の魚のための塚もあったので、いままで飼って死なせてきた金魚のために手を合わせといた。
JRの鉄塔を初めて見た
神社の近くの鉄塔でやっと確認できた。今まで見てきたものとは違うものだった。JRの鉄塔だった。
地図で調べたのが間違っていなければ、川崎から田浦までつながってるはずなのだが。
さて、やや横道にそれた。次行こ、次。この道を戻ろう。
標識の上に、うっすら富士山が見えた。
南横浜火力線59と60。
小さな商店街の古い街灯がかわいい。
足下をみれば、そこには家電リサイクルの新しいカタチがあった。
植木鉢への転身だ。
さて、南横浜火力線61。赤白。このあたりはどのお家にも柑橘系の立派な樹が植わっている。
62の手前で発見。2つめ。庚申塚。安政七年(1860)のものだ。下の猿が一匹だと思ったらどうやら左右の側面にそれぞれ一匹ずついて、合計3匹になるようだ。
遊びにくる子が多いみたいだから、庚申様は寂しくないだろう。
南横浜火力線62。
近くの御霊神社にも寄り道。3つめがいるだろうと思って。正月飾りの焚き上げのために、自宅の飾りを持って、近所のひとがたくさん来ていてにぎやかだった。
そして、いた。戸塚区最古の庚申塚。1666年のもの。両脇に猿形式だ。さっきのより200年も古いのに、とてもきれいだ。修復したのかな。
畑に映える鉄塔たち
ここから地図の道が少なくなる。道をひく必要がないということは家がない、つまり畑だということだ。畑の中にそびえる南横浜火力線63。丹沢が見える。
ここで蝶をみつけた。わたしのまわりをひらひら飛んで道案内してくれたみたいだった。羽を開くと中は紫色になっていた。でもちょっと早すぎないか。食べ物あるのかな。
右も左も畑。考えてみれば、わたしは野菜も作れないし電気も起こせない。助けてもらう一方。
南横浜火力線64の横にはトラクターが停めてあった。
野菜越しにみてみよう、南横浜火力線65。
大根!
葱!
このあたりでふりむくと、ここに来るまでに通ってきた鉄塔を一望できた。
南横浜火力線66は碍子が多くてごちゃっとしている。つまり好きな形。
南横浜火力線67の近くには売り物件があった。毎日眺めることができますな。鉄塔ビューの反対側は一面の畑だ。
ちょっと遠いな、近づけないものかと思っていたら、生け垣に穴が。階段もつくってある。行ってみたら、足下に行けた。そこでみたものは鉄塔の影。
京浜変電所に到着
南横浜火力線68は実は変電所の外としては最後だった。ぐいっと電線がまがっているのがかっこいい。
碍子も、力のかかり方の違いなのか位置によって数が違う。
京浜変電所に着いた。ものすごく広い。もう電線ごっちゃごちゃ。うわー。
南横浜火力線69は変電所の中にある。半分は変電施設のほうへつながっている。
数字は確認できなかったが、これが南横浜火力線70だろう。てっぺんに番号のプレートがあるのだが、字が消えてしまっていたのだ。
途中の部分のプレートには南横浜火力線の文字があったので、これが70だろうと思う。変電施設へつながっていて、ここから先には鉄塔はない。最後だ。
1から70まで来た。
70側から見てみた。
この後、一周約1キロ歩いて、南横浜火力線という名の鉄塔がないことを確かめた。変電所の規模にびっくりしっぱなしだった。すごいなー。
中がすごくて、金網も気にならない。
畑のなかにどーんとあるのだ。
おまけ
今日の碍子。
迫力の4導体。泰浜線というらしい。変電所に近くなると数が増えたから、どこかの発電所から来ているのだろう。これが89なので、あと88個戻ることになる…。またにしよう。